一事が万事

人は自分の生き方を決めるとき、今、一番優先しているものが何かを知ることで自分というものの目指している姿を観ることができる。

何かの出来事がある時に、自分が後悔しない選択ができるかどうかは自分がその時々で優先したものを守れるかどうかということによる。

まだ若いころ、自分の優先順位を10個ほど紙に書き出したものがある。

今読み返してみると、一番が「使命の成就」と書かれていて十番目が「健康」とあるけれど少し笑ってしまうが健康が一番下だったくらい健康だったのだと思える。

一番目は何年経とうが変わらないけれど、二番目以下はどんどん順番は上下しているのが不思議とわかる。そう思うと、人間は一番目だけでも守られれば後は何とかなるものだと私は思える。

一番目を忘れて二番目以外に心が囚われれば、それこそ本末転倒になってしまうのかもしれない。しかし二番目以外の十番目のものもどれも一番目を達成するためにとても大切なもので、正確に言えば一番目を達成するためには残りの九つは全て必要な要素なのであるからこれもまた非常に不可欠なものなのである。

仕事をやるには、家族や周囲の協力が必要になる。
そして長く続けていくにも大切なものをいつまでも維持していく力がいる。

たった一つのことを守るだけでもすべてのことを大切にしないといけない。
そう考えると、私の定義での「一事が万事」なのである。

後悔する判断とは、自分が守る大切なものを決めないことであり、いつまでも繰り返す失敗とは、自分が納得していないことである。

だからこそ人生の順番を決めて、何を大事にするかを定めたら迷わないように日々に納得するほど考え切ることを続けることなのである。

迷っている暇があるのが何よりももったいないことであり、惑っている時間があることが何もしようとしていないことである。これが迷惑である。

「迷ったら行け」ではないけれど、自分が迷っているのは迷いから覚めて覚悟し、自らが納得するために遣り抜いてみよという天の啓示のようなことでもある。

それを遣り抜くためには、全部を大切にするだけの広く深い優しさと芯の強さと心を持つことなのである。

ひとつひとつを丁寧に、そしてひとつひとつを自分で掘り下げることは大切なこと。掘り下げた場所でいつもの本当の自分と対話し、納得するまでとことん考え抜き向き合うことは即ち自分を大切にし周囲を大切にすることでもある。

自分の価値観の優先順位が定まっている人は環境に依存しない。
そして何よりも大切なものを決めている人は迷いがない。

自分がどうありたいか、それが全てなのである。
それを外側のせいにしても、外側とは心の外の話であるから意味がない。

内面の心が外界を形成するのだから、どうありたいかを決めることが後悔しない人生、充実した自分らしい生き方の追及なのであろうとも思う。

子ども達には、選択する厳しさと、それを思いやる優しさを併せ持てるような真の強さを示していきたい。大切なものを守る力をつけたいと、若い時に何度も何度も泣いたことがある。今でもその悔しさはなくならないからこそ、理想論ではなく現実も併せ持った冷静さと情熱が調和する真の人格を練磨していこうと思う。