生き切る

知るということと悟るということは異なる。いくら知識を先に得ようとも、遣り切っていないのならば実体を理解することは難しい。

知るということと行うということの間にこそ、その悟りの境地のようなものがある。コツを掴むというものも同じく、何度も何度も遣り切っていく中でその言葉にはできないけれど頭と体の間ではじめて得ているのであろうとも思う。

人間の体験とは、知識が先かと言えばそうではなく、先に心で感じて心で動くことが何よりも大事でそのあとに知識でその理を自らに定着させていくといい。

今の時代は、何でもやる前に遣り切る前に頭でっかちに考えて方法論なかりに囚われ何もやろうとしないことが多い。

心か頭かと言えば、やっぱりいつまでも頭で先に考える人が増えたのは失敗を怖がったり問題を恐れるからであったりもする。

この国の教育が、100点を目指させ能力一辺倒に完璧な人間を目指させてきたからこのような弊害を受けているのであろうとも思う。エリート教育をすることで、実際は世の中にはエリートしか必要ないかのような差別的な社会を構築するのは今の国の価値観のカタチである。

本来の社会とは、エリートだけでやっていくのではなく様々な人たちが様々な長所を活かし合い、助け合ってきたことで豊かで平和な幸福度の高い社会を築き上げてきたはずである。

世界と競争し、経済を優先してきたツケが人々の心に巣食ってきている。

人は何をするにせよ、その人そのものの天命を活かすことが第一であり国家権力のために活かすことが命の役目ではない。使命感とは、その人の人生の生き方や生きざまのことであるから一度しかない人生だから心が先に決めることで心が感じて、心がやったことを頭が理解するという方が楽しく充実した日々を送れるのだと思います。

どんなに悩んでいたとしても、立ち止まって悩んでいるだけでは世界は一歩も動き出しません。勇気を出して飛び込むというのは、頭で考える前に行動することで今の一瞬一瞬に命を懸けることだと思います。

あの子どもたちのように、今を生き切ることこそが人生の妙味を感じて命を正しく使っているのだとも思います。

何でも信じることからはじめ、信じたことを遣り抜いていくことで自分の人生を樹立していくことを優先できる人が世の中にたくさん増えることだと思います。

このような時代、子ども達の手本になるような今を生き切る日々の生き方を自らが実践しつつ自らの本業に邁進していこうと思います。