世界の一人

人は自分の何を信じて生きていくのかというのはとても大切なことです。その信じていることが何かというのは分けている自分との折り合い、つまりはバランスが必用のように思います。

例えば、日ごろは表面上の自分が周りに合わせながら自動で環境に適応しようてしていくものです。その時の自動とは、脳が今までのパターンを分析して何をすればいいかというのを察知して対応することに似ています。それと同時に、今度は深層の自分というものがありそれもまた日常の中で自動で気づいて新たな環境に適応しようとします。それはまるで、心や魂が求めるものに従って突き動かされていくように求めていくものでもあります。

この両者の自分というものの折り合いをつけていくことが自分というものへの信頼になるように思うのです。自分への信頼というのは、表面上の人間臭い自分もそのままに表現することを信じつつ、同時に深層にある理想や理念を持っている自分のことも信じていくことのように思うのです。

人は自分というものをどれだけ信じることができるか、つまりはその両者渾然とした自分を如何に遣り切っていくかということが自分を生きたという満足感につながるように思います。世界でたった一人しかいない自分、天上天下唯我独尊であるというこの無二の自分というものを自らが信じたとき、はじめてそのいのちも輝きだすように思うからです。

生きているものすべてのいのちが輝いて観える境地というのは、まず自分自身のいのちが輝いているからであるように思います。自然には嘘がありませんから、そのままであることがそのままでいいのですから全てを用意してくださっているものに委ねながらもこれで善いと丸ごと信じて生きていくことが私たちが許された最幸の楽園、地球での過ごしたい理想郷なのかもしれません。

東井義雄先生に下記のような言葉があります。

『世界でただ一人の私を、どんな自分に仕上げていくか。その責任者が私であり、皆さん一人ひとりです』

どんな自分に仕上げていくか、その責任者が自分、そしてそれは一人です。

この言葉は大変な力があるように思います。

自分の生を自分で生き切り、その中で出逢う自分と対話していくということ。そこには、様々な自分勝手も、頑固さも、我執も我欲もあるでしょう。その上で、丸ごと自分が自分の真にやりたい心の声を聴き遣り切ってあげるために理念と実践で仕上げていくこと。

それが私たちの生きる醍醐味であろうと思います。

世界の一人である自分、その自分から日々を学び直して生きたいと思います。