縁愛1

本日からドイツへ移動し、保育の研修に参加してきます。毎年、ドイツ研修に行く際はテーマを決めて深めていくことをしています。今年はつながりや人間愛について考えてみたいと思っています。

そもそも愛とは何かというと、つながりのことのように思います。よく愛のことを色々なことで表現されることがあります。あのマザーテレサは愛の反対は無関心という言い方をして、その愛の理解の深さを表現されました。

これもつながりが薄れてしまうからそれが無関心という言葉に顕われてくるように思います

例えば、友人や家族、そして仲間や自分と関わる人たち、もしくはご縁いただいた人たちのことをどれだけ思いやり、大切にしようとするかというのはその人の自分に対する深い人間愛が根底にあってできるものです。言い換えれば、自分のつながりに感謝して自分が何か偉大なものとつながって生きている、つながりの中に活かされているという実感というもの中に役割でいられる自分の存在を実感するのです。

つながりの中にいるということは、共生していることへ感謝してそのつながりを強くしていくというのが愛なのです。つながりと太く強くするために、人はどんな時もそれを細く弱くさせようとするものと向き合っていかなければなりません。

特に貨幣経済が発達し、昔のようにみんなのものだと分かち合うことよりも自分のものだと独占したり一人じめしようとするからそのつながりがより薄れてしまう中に身をおいてしまうものです。

しかしだからこそ、より一層強い愛を学び直し私たちは次世代へ愛をつないでいかなければならないと実感するのです。

愛は、そのつながりを希薄かさせ弱体化させまさに切ろうとするときにこそ出していくもののように思います。どんなに社会がつながりが薄れ閉塞的で自分のことばかりを考えている人たちが多くてもそれに負けない強い新しいつながりをつくっていくのが生き方を見つめ、自分を強くしていくことなのかもしれません。もしくは、そういう社会そのものをもう一度見つめて本来の愛のある社会の価値を再認識して私たちが変わることかもしれません。

どれだけ人間のことを信じて助け合っていくか、そこに愛の尊さがあるように思います。

東洋や西洋の垣根を超えて、家族というものをどのように形成しているものか、子どもの姿から普遍的な愛を学び直していこうと思います。