実体験の価値

人が生きていくのに実体験というものが生き甲斐や遣り甲斐を生み出していくものです。その実体験とは何かといえば、自分でやっているという実感のことです。

これは自分で決めたことを自分で遣り抜く時、もしくは自分の人生を信じて今、与えられている環境に感謝するときに実感できるように思います。不平不満を言っては、遣らない理由を探すのは言い訳で、言い訳をするとまた実体験から遠ざかってしまうのです。

実体験とは、酸いも甘いも全てを味わおうとする境地で、自分が心で定めた志を頼りに後は眼前の今に全身全霊で特化していくというものです。それは例えるなら、世界の問題を自分の中に容れながらも粛々と目の前のことから学んでいくのに似ています。

禍福一円ではないですが、今、学んでいることは将来どこかでその能力が必要になるのです。ないものねだりをする前に、自分に何の力を欠けているかを教えてくださっているのが今という見方が素直で謙虚な姿勢です。

また自分の欠点を知ることは、自分の美点を知る事でもあり、人は同時に両面を受け容れなければ本当の自分を世の中へ役立てていく方法へ辿りつきません。

そして欠点だからそのままでいいかというとそうではなく、欠点もまた美点になるように精進していく必要があると思うのです。それはバランスのことで、美点は欠点があるから引き立たされるものだし、欠点は美点をさらに引き出していくからです。

例えば、何かができなくて大変だからこそそれをできる人の美点を見つけることができる。そしてその美点を活かしつつ自分の美点で協力していくこともできる。欠点は補い合い、美点は尊ぶということが、自他を活かすことのようにも思うのです。

人はどこか自分に似ているところがあるから惹きあうともいえます。しかし同時に似ていないところがあるから求めあうこともできるのです。

だからこそ欠点もまた美点になるように、互いを尊重し認めていくのは視野を広げ、遠い先のことを慮り、いつの日か必ず力をつけてお役に立とうと今を遣り切っていくのが自分を活かすということかもしれません。

目標も夢も、本当に遣りたいことは実は日々の体験の中で得られるようにできているのが人生です。生きること、生きていることそのものが夢の中にいるからです。そして分かるように言い換えるならそれは大前提として、「現実の中にこそ真理がある」と信じている事です。

最後に森信三先生の言葉です。

「いったん決心したことは、必ずやりぬく人間になることです」

やりぬく人間になること、これがイコールで実体験する人生であるということかもしれません。
人間は頭で生きるのではなく、全身全霊で生きるもの。人間ですから弱る時もあるかもしれません、しかしだからなんだというのもあります。

志とは実はそういう時にこそ、盤石に発育していくからです。

実体験を尊び、試行錯誤しながらも前へ前へとその舵をきっていこうと思います。