養育の道

現在、中尾佐助氏の「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)を読み進めています。

そもそも人間は食べることによって今まで生き延びてきた生き物の一つです。その食べるという当たり前のことを文化と呼ばずに何を文化とするのか、そして食べるために農耕を如何に発達させてきたかを辿るというのは、人類が如何に発達してきたかを知る道筋でもあります。

人類のルーツが何か、そして人類はこれからどこに向かうのか、その発達を確かめる中に「農耕」という文化そのものの意味を自覚しているかどうかは大変重要なことであろうと思います。

今のように遺伝子組み換えや原子力、また最先端科学と呼ばれる技術によって様々な文明が生み出されたとしても、かつて何千年もかけて創意工夫してきた文化には及ぶものはありません。いくらそれらの最先端科学をもってしても、そもそもの農耕という名の食べるものすべてを賄うことはできないからです。

この著書は栽培されている作物の側から物事を洞察しているところに、発達で観るということの真価があります。育ち育てるということがどういうことか、そしてそれを如何に発展させてきたかというのに人類史のかつての智慧を学びなおすことができるように思います。

以前、種麹屋のことがテレビで放映されていた中に興味深いシーンがありました。種麹屋というのは、その年の種麹の中から特に栽培が可能な種麹を取り出し保存する、そしてかつてもっとも栽培に向いている種麹の種菌を残しておいてそれを培養して種麹として販売するという話です。

これは作物でも同じく、毒抜きをしたり育成の過程で栽培に不向きなところを取り除いたり、種を大切に守りいつまでも育てることで農耕の文化を築いてきたのです。自然農の実践をしていても、毎年作物がその土地にあわせて、そして栽培する私に合わせて変化してくださるように常にかかわりと絆によってお互いの文化を築き上げていくのに似ています。

奥の深い農耕の歴史を鑑みながら、今の人類がどこに向かっているのかを考えると心苦しく思えてなりません。種を守ろうとすることを人類がやめたとき、人類は滅びの道を選択しているのかもしれません。

種を大切にするというのは、如何に育てていくかを守るということでしょう。
見守ることの大切さから、より深い養育の道を学びなおしていきたいと思います。