和合

自然界のすべての生き物を見ていると、脳の習慣とは別に本能で習慣化するという機能を持ち合わせているのに気づきます。

たとえば、動物でも昆虫でも同じですが生活のパターンがある程度決まってくるとその通りに生活しようとするのです。それはその場の環境に合わせて、気候や季節によって変化するのですから同じパターンでも変化を感じる力を本能は見失うことはありません。

これは習慣の力で同じことを繰り返す力と、変化に順応する力の両方をバランスよく活かしているともいえます。私にすれば、顕在意識で日々の習慣化を行い、潜在意識で日々の習慣化を同時に行う。つまりは、判断と本能によって常に自分をあるべきようにするのが自然の持つ和合の姿なのかもしれません。

これらの和合が邪魔されるのは、どちらかに偏るときのように思います。変化のみを追い求めて、日々の実践を怠ったり、日々の実践が慣れてしまいマンネリ化したということが起きることで肝心の和合ができません。

何かを実践するのには、心を籠めてから判断をするという順番が大切なことのように思います。自然に合致し、自然の運行と和合する生き物というものはこの真心と謙虚であるという法理から離れることがありません。

天の運行は真心ですから、真心にそって生きていきながらも、自分の我がありますから謙虚であることでいのちにそって正直でいられるのでしょう。

かんながらの道には、和合というものがつきものです。

自然であるというものは決して環境にただ自然が多いことを言うのではなく、本来の宇宙や地球の姿そのものの真心であるということだと思います。それは自分という一部がどれだけ全体の中にいるかを忘れないということです。

主体性というものも独立自尊というものもそういう状態ができて生きてきます。

社會の通念に流されて自分を見失わないように日々和合を大切に変化順応を楽しんでいきたいと思います。