幸運の人生

人生を思いかえれば、ほとんどは計画していない出来事によって構成されているのに気づきます。言い換えれば、行き当たりばったりということです。これを辞書で調べると、計画をせずにその場その場のなりゆきに任せることと書いています。

そもそもこの言葉は、無計画や計画の甘さで使われるようになっていますがもう一つ別に意味が潜んでいるように思います。

それは出会いを大切にしているということです。

人は人に出会うことで人生の岐路が大きく変化します。思い返しても、あの時、あの人に出会わなければと思うと、計画していなかったことばかりに運命が導かれていることを実感するのです。

同じ行き当たりばったりでも、感情に左右されたくないから考えたくないのか、それとも信じているから考えないのかでは天と地ほどの差があるのです。

世間の行き当たりばったりは、感情に呑まれてしまいたくない嫌悪感からそういう生き方を選んでしまいます。本来、ちゃんと段取りをして配慮しているからこそ行き詰まることもありません。何かあったらどうするかを常に考えるのは、問題意識と危機意識、役割意識の自覚が高いからです。これは確かに怠ると周囲に迷惑をかけてしまいますから、行き当たりばったりではいけないというのは分かると思います。

しかしもう一つの行き当たりばったりは、そもそもの自分の人生を信じているのです。運命というのは、天が与えた性に正直であるほどその人の運のままに流れていくように思います。無理をせず無為自然に運に任せて運が善いというのは天が与えた自分の人生を信じているからです。

信じているからこそ、「これで善いのだ」と判断でき、行き当たりばったりの直感に従って自分の人生を味わい楽しめることができるのです。時として計算していないのですが、その分、一つ一つの出会いを大切に真剣に生き切っています。

世間的な安定も安心もそれは周囲の評価や常識の中で計算されたものです。しかしそういうものではく、体験した後に自分はこういう人生だったのだと振り返れる幸福の今を生きているといっても過言ではありません。

どうせ人間はいつかは死ぬ日が訪れるのですから、精いっぱい生きようとするのは自分のたった一つの人生を信じているということです。

出会いを大切にしていく生き方というのは、来たものを選ばないということです。そしてそれは自分の思い通りではなくても、思い通り以上のことが起きていると信じているということです。天に任せて人事を尽くすという「最善」を実地実行する至誠の生き方です。

運の善さというのは、一期一会に人事を尽くす人に着いてくるのでしょう。

大人のように計算高くなるとそのことで正直ではなくなります、子どものように正直に計算をしていなくてもその時その時を一生懸命に生き切る童心を大切に守り育てていきたいと思います。