悔しさの本質

昔から悔しい体験が人を成長させる、悔しさをバネに人は伸びると言われます。

この悔しさを実感したことのない人は吸収していくことができません。学び方というのは学校でただ知識を吸収していくような本だけを読めばいいという勉強だけで成長したとは言えません。確かな体験を自分で経験に昇華しつつ、それを心技体に刻んでいくかのように実力をつけていくのです。

実力というのは、どれだけ結果がでるものばかりを選ぶのではなく結果がでないような難しいことに挑戦しているかが関係しますから大した努力もなしに実力が具わることということはないのです。

話を戻せばこの悔しい体験とは何かということです。

これは一言でいえば、「楽をしない」ということです。人間は自分にとって楽を選べばその時点で自分に負けてしまいます。楽を選ぶ人は悔しがるわけではなく、周りの同情をあつめたり、甘えてばかりで自分の力のなさを嘆くばかりで努力をすることはありません。どうしてもやる気がでないとかやりたいとは思わないとかに陥りますがこれは自分が楽を選んでいる証拠なのです。

人間は楽を選べば悔しくなく、苦しいほうを選ぶから悔しいのです。

その苦しみというものは、大変だと分かっていてもそれでも自分に負けたくないと挑戦するから悔しいのです。「たら、れば」という言い訳を排除し、何がなんでも実力をつけたいとプロとして謙虚に学ぶからこそさらに自分の人格を高め、人間としての成長があるのです。

成長するには苦しい体験、つらい体験、苦々しい思いをたくさんして伸びていきます。甘えて楽して簡単便利に手に入るような結果ばかりを追っていたらそのうち自己嫌悪になり湿った木炭のようになっていきます。

植物の世界であっても、根が張るのはもっとも苦しい時です。いつも水を与えて湿りきっていたら根腐れして枯れるのが自然の道理です。根腐れしないコツは吸収したいと強く願うことです、いいかえれば成長したいと願うことです。

そしてそれは自分に打ち克つような体験すること、つまり悔しい体験をすることです。

一流というのは、「克ちにこだわり」ます。それは己に克つことを望んでいるからです。楽を選ぶような人に一流はいません、常に楽ではない方を選んでできない理由を撥ね退けて限界を超えて奇跡を創りだしていくのが一に止まる人物の流儀でしょう。

せっかく若いのに成長しないというのは何よりももったいないことです。若いうちの苦労はかってでもせよというのは、若い時は苦労して自分に克つ体験をたくさんしなさいという先人の思いやりなのかもしれません。若い時こそ実力が着いてこないのだから、その時こそ体験をさせてもらえることに感謝して苦しくても何でもやってみることです。苦しい時の一歩こそ勝利を呼び込む鍵なのです。

それが初心者の基本姿勢、「克ち癖」をつける訓練ということです。

苦しいから楽をしようではなく、苦しくても遣り切ることで悔しくても愉しい方を選ぶ生き方の実践を子どもたちを励ましつつ背中で伝えていこうと思います。