本物の実践

「本物は続く、続けると本物になる」は、東井義雄さんの遺した言葉です。

実践をしていく中で何度も励まされる言葉です。

人は初心を忘れたり、日々に向き合わずに内省を怠るとすぐに流されて実践が甘くなっていくものです。自分の遣りたいことや好きなことを遣っているはずですが心がついてこず、頭でっかちにやった気になればそのうちルーティン化した業務のように実践を勘違いしてしまいます。

本来は何のためにそれをやるのか、何のために働くのかを決心していたはずのものが覚悟が定まらず迷走しまた流されるというようにブレナイ自分を練磨研鑽するには長い年月がかかるものです。

しかしそれでも続けていれば、次第に何かの機会を切っ掛けに質が高まり心が着いてくるように思います。心が育ってくればくるほどに様々なところが削り取られていき円みを帯びてきます。実践とは実績のことですからやればやるほどに積み上がった経歴や経過が今の自分を存在させますから毎日は死して後已むまでずっと真剣勝負だということです。

そして実践の心を伝える東井義雄さんの「小さな勇気」という詩があります。

「人生の大嵐がやってきたとき

それがへっちゃらで乗り越えられるような
大きな勇気もほしいにはほしいが
わたしは小さな勇気こそほしい

わたしの大切な仕事を後回しにさせ
忘れようとさせる小悪魔が
テレビのスリルドラマや漫画に化けてわたしを誘惑するとき
すぐそれをやっつけてしまうくらいの
小さな勇気でいいからわたしはそれがほしい

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか
けさは寒いんだよとあたたかい寝床の中から
ささやきかける小さな悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さな勇気こそほしい

明日があるじゃないか
明日やればいいじゃないか 今夜はもう寝ろよと
机の下から呼びかける小さな悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さな勇気こそほしい

紙くずが落ちているのを見つけたとき
気がつかなかったふりをしてさっさと行ってしまえよ
かぜひきの鼻紙かもしれないよ
不潔じゃないかと呼びかける
小さな悪魔をすぐやっつけてしまうくらいの
小さな勇気こそわたしはほしい

どんな苦難も乗りきれる
大きい勇気もほしいにはほしいが
まいにち小出しに使える小さい勇気でいいから
わたしはそれがたくさんほしい
それにそういう小さい勇気を軽蔑していたのでは
いざというときの大きな勇気も
つかめないのではないだろうか 」

自分を変えていくということは、自分の全身全霊を発揮していくことです。本当の自分らしさというものは、全身全霊で自分を誰かの為にと真心で生き切り遣りきるときに自ずから自然に出てくるものです。

あの植物や動物、虫にいたるまで自分で計算して自分らしさのだし引きをするものはありません。人間は甘い環境の中で自分を甘えさせられることができる生き物ですから、あの野生の動植物のようにそのものらしくはなくなってきています。

そんな時こそ小さな勇気が必要ではないかと私は思うのです。

日々の実践というものは、頭で行うものではなく行動で示すものです。行動は頭よりも先に動きますから心が先に動いてきます。心が動き頭が着いてくればそれはもう実践がものになってきている証拠なのです。頭ばかりが先に動いて心が亡くなってしまうような人生はまるで道に入って道を歩かないような虚しいものです。

「本物は生きるのを已めない、活き続ければ本物になる。」

一度しかない人生なのだから自分と向き合い、自分を高めていくのが人生の醍醐味なのかもしれません。色々と誘惑や欲が多いのはどの時代でも同じようです。その自分の誘惑や欲の種類は人それぞれに異なりますが、小さな勇気を発揮してそれを凌駕するような本物の勇気の心、本物の実践を積み上げていきたいと思います。