志実践

人間というものは、全てに「忘れる」という事実があります。この忘れるという状態がどういうことか、それは字に現れています。「忘」の字は、心を亡くすと書きます。「忙しい」という字と同じで、心を亡くしてしまっているということです。

この心が死んでいるという状態が、「忘れる」であり「忙しい」ということです。

昔から修身を実践する人は、如何に日々に自分が初心を忘れないでいられるか、忙しくしないでいられるかということを工夫してきました。どんな状況のときでも、心が死んでいるのでは意味がないとし、必死に自分の心を亡くさないで暮らしてきました。

江戸しぐさの中に、その工夫の一つがあります。

「江戸時代では、「心こそが人間として最も大事な宝ととらえ、忙しさは「心」を「亡」くすこと、心をなくしたら人間ではないただのでくの坊になってしまうと考えました。忙しいときは、「いま書き入れ時で」「ご多用なところをようこそ」など言い換えたようです。」(「暮らしうるおう江戸のしぐさ」朝日新聞社)

常に自分が忙しいと言わないように別の言葉で言い換えていたようです。

これは日常の中でのコミュニケーションの工夫ですが、能の大家、世阿弥の風姿花伝のように「初心忘れるべからず」というように、「初心を死なせてはならぬ」という言い方で自戒をし、常に自分の心を確かめる習慣を持つことを家訓にして芸道を遺すということもありました。

人は事があるたびに「忘れ」「忙しい」と心が死んでしまうのは、それだけ心は目的に生きているからです。何のために生まれてきたのかという理由を知っているからこそ、それだけしか観えていないのです。だからこそ日常の目先のことは頭が処理をしていきますが、そのうちに手段が目的にすげ換わったりしてまた忘れ忙しくなってしまうという悪循環です。

そうならないように工夫をしていくことで、この課題とは対峙していくしかりません。心が常に着いてくる実践を増やしていくことが、感謝でありおもてなしであり、御蔭様であり、もったいないであり、見守ることです。

人間は油断するとすぐに「忘れ」ます。忙しいは気を付けられても、忘れるは気を付けない人が多いように思います。忘れないために日々にどれだけ苦心して精進するかが、一生涯を通してみた時にどれだけ価値があることかが分かります。

一生涯というと、徳川家康の有名な遺訓を思い出します。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

そしてもう一つ、とても感銘を受けたものがありましたので紹介します。

「われ志を得ざるとき 忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき 大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち 油断大敵この四字を守れり。」

志を守ることが忙しさと忘れることに処する克己の工夫かもしれません。我を増長させ、油断し、分を弁えず、驕り高ぶり慢心するのは志が試されているとも言えます。試練や逆境の中で人は志を育て、志を果たす時、その人の人生の目的が叶います。

心に志の刃を突き刺すことを「忍」と書きます。

忘れないで忙しくしないためには忍耐力が必要なのかもしれません。子ども達のお手本になるように、日々に自戒して志実践を高めていきたいと思います。