真心の薫り~日本人の心~

昨日、「たたら製鉄」のことを書きましたがたたら製鉄とは日本古来の製鉄法で祖先が営々として築き上げた日本独特の製鉄法で千年以上の歴史をもつそうです。

そもそも「たたら」という言葉は「ふいご」を意味する言葉のようです。日本書紀には神武天皇のお后になる雲の姫、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずのひめのみこと)がいます。蹈鞴と書いてたたらと読みますが、蹈鞴は踏みふいごのことです。

この蹈鞴で鉄を吹くことから鉄を製錬する炉もたたらというようになります。そして漢字で鑪と書いてたたらと読ませます。さらに炉全体を収める大きな家屋(高殿)、さらにはこれら全体を含めた製鉄工場もたたらと言うようになりました。

そしてこのたたら製鉄でつくる代表的なものが日本刀です。

日本刀の特徴はよく「折れず、曲がらず、よく切れる」といわれます。これは矛盾を内包している言葉です。つまり「折れない」ためには鉄が柔らかくなければなりません。そして「曲がらない」と言うことは鉄が硬くなければなりません。つまり刀を柔らかくもあり硬くもある鉄で作るということになり矛盾があるのです。そしてその上で、よく切れるという事ですからここに日本人としての鐵をつくる心があります。

そして1000年経っても美しさを放ち続けると言われ、日本刀は日本人の魂を顕すものだとして世界で評価されています。

日本刀には、姿の良さ、刃文、沸、匂、映り、地肌の霊妙さなど、神秘的とも言える荘厳な美をもっています。そこには、玉鋼が姿かたちを換えていまもまだ生きています。

日本人のモノづくりの感性はすべてにおいて「いきもの」に接して、新たな「いのち」を吹き込むものです。あらゆる精霊を組み合わせて、新たなものへととけ合わせていくチカラ、そこに日本人のものづくりの真心があります。

これは決して鍛冶だけではなく、杜氏、宮大工、そして先日拝見した塩田職人などもすべては自然のものを大切に尊重して扱い、それを自然のカタチを壊さないように丁寧に別の御姿へと変えていく神技の極みです。

このプロセスの中にこそ、自然を崇拝して自然と共生してきた智慧があります。

私たちが忘れてはならないのは製鉄法ではなく、その中に籠められている日本人の心であろうと思います。どのような生き方をしてきたか、それをものづくりによって子子孫孫へと伝承されています。

先祖たちがどのように生きてきたか、そしてどのように生きてほしいかをものづくりの中に心を籠めて遺してくださった先祖たちに感謝の心が湧いてきます。子ども達にどうあってほしいか、永続して繁栄し心穏やかに仲睦まじく和を尊びいきてほしいと遺してくださった真心が薫ります。

真心の薫りがなくならないように、平成の時代でもそういう生き方をした人たちがいたと子どもたちに慕われるように自らの生き方で伝承し、それを遺し、子どもたちに真心を譲れるようにしっかりと日々の志事を通じて日本人の道具と暮らしを大切に守り精進していきたいと思います。