透明の磨き方

透明さというものは、穢れを祓い清め洗い清める中で磨かれていきます。その透明さを磨くのに私はよく「遣り切る」という言葉を使います。この「遣り切る」ことは一期一会を大切に出し切ることであり、常に心徳を高め魂やいのちを輝かせるための磨き方のように思います。

人は本気になり真剣になればなるほどに明るくなります。この明るさは単なるマジメのもつ深刻な感じから出てくるものではなく、真剣で本気だからこそ出てくるものです。出し切るというのは何を出し切るのか、遣り切るとうのは何を遣り切るのか、それは「本気を出し切り、真剣を遣り切る」ということに他なりません。

佐藤初女さんは、透明さを磨き切った方でした。その磨き方が本人が語る言葉の中に遺っています。

『私はどんな時も自分の都合を優先せず、その人が求める形で出会いたいと思っています。何かに取り組む時、ある限界までは、誰でもできることだと思います。けれども、そこを一歩越えるか越えないかが、大きな違いになると思うのです。そして1つ乗り越えると、また限界が出てきます。そのように限界を1つずつ乗り越えることによって、人は成長しますし、その過程は生涯続くものだと思います。確かに、このような生き方は大きな犠牲を伴いますし、私は時々自分でも厳しいなあと感じる時があります。『忙しい』という言葉を、私はなるべく使わないようにしています』

最期まで一期一会に遣り切るというのは、最期まで「我」を優先しなかったということです。真心を盡して盡し切ったかということが、御縁に向き合う至誠であるように思います。自分よりも誰かのためにと見返りを求めずに真心を与え続ける人生というのは、常に犠牲を伴います。しかしそれでも真心や思いやりを盡していくことが透明さを磨くということになっているのです。あと一歩で諦めてしまう人や、あともう少しの努力でやめてしまうのは真心までいかないからです。人事を盡して天命を待つという言葉もありますが、人事を盡していないのに天命は待つことはできません。この真心までいくかどうかに、感謝で生きる道もまたあるように思います。

また初女さんは、こう言います。

「『私、苦しいんです』と訴える人に対して、頭であれこれ考えて解決の方向にもっていっても、それは本当の解決になっていないです。『そう、苦しいね。でも、もっと苦しまなくちゃ』って伝える時もあります。『初女さんは苦しいと思われることはないのですか?』という質問を受けることがあります。もちろん、私も活動を続ける中で、どうすることもできない心の葛藤が生まれることがしばしばあります。そんな時、私は苦しみを否定せずに、自分の心をまっすぐ見つめます。そしてどんな時も、苦しみを感じきることを大切にしています。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、もうどうにもならない、というところで『神様へおまかせ』に入るんです」

私の言葉では「選ばない」ということです。逃げないと選ばないは同じ意味であり、全てを御縁の尊さで感じ切る、いただいている御縁に感謝しているかという祈りの実践でもあります。そして人事を盡し切ったならもうできることはないのだから後は天にお任せしようと祈り待つ境地しかないのです。それが「遣り切る」ことだと私は思います。

人間は誰しも出会いによって人生は変化していきます。

そして出会いをよくよく感じて内省するとき、その御縁や出会いは向こうから発見してもらって呼んでくださっていると感じるのです。つまりは「選ばない」ことの背景には、それは向こう側から自分を選んでくださった、自分にこれをやるようにと教えてくださった、自分にもっとも相応しいものをいただいたと自覚しているからこそ「選ばない」のです。

天命というのは探して得るものではなく、受け容れて得るものです。四十になって実感するのは、四十にして惑わずではなく、四十にして天命を選ぶのを已めたということです。天命を選ばないから惑わずになるわけで、人はその天命を選ばずに受け容れることでその後の人生の意味をしっかりと学問していくことができるように思います。

初女さんの生き方が、とても透明に徹しているのはこの人生への正対の覚悟、また一期一会に生きる決心の強さのように私は思います。

かつて東京で初女さんの講演を拝聴する中でもっとも強く印象に遺った言葉に『私はメンドクサイという言葉が大嫌いです、どんなことも決して面倒くさいと言ってはいけません』と静かに厳しく仰っていたことが今でも忘れられません。

真心や思いやり、本気や真剣さはこのメンドクサイの反対側にある言葉です。一つ一つを丁寧に丹精を籠めて生きていくことがその透明さがより磨き研ぎ澄まされることになっていくように思います。

追悼を籠めて書き綴っていますが、初女さんの偉大な後ろ姿に改めて学び直すことばかりです。子ども達のためにも、こういう方が遺してくださった真心を子どもたちに伝承していきたいと思います。