心の風通し

「風通し」という言葉があります。これは自然では風が通り抜けるという意味ですが、組織では意思疎通のとれている意味で使われます。昔からこの風通しというものは風水をはじめ、あらゆる環境や場創りに用いられてきました。風通しがよければカラッと乾いた状態を維持していくことができます。逆に風通しが悪いとカビが生えたり腐ったりと病気になったりと様々な問題を引き起こしていきます。風通しというものは、水通しでもあり、水は目詰まりを起こせば澱んでいくように風も通りが悪ければ同じように澱みます。水は澱むと腐敗しますから、如何に澱まないようにしていくかが自然の智慧、「風通し」ということです。

この風通しは人間関係においては何よりも重要な要素です。

たとえば、風通しが悪くなってくるというのは疑心暗鬼になって意思疎通が取れない状態です。それぞれが感情を押し殺して自分の思い込みで勝手に真実とは違うことが気になり不安で動けない状態になります。周りの目が気になり、コミュニケーションや対話が正常に行われず、言いたいこともいえず素直に自分をさらけ出すこともできません。こんな状態では風は通らず人間関係もまた澱んでしまいます。

そもそも風通しが悪いのは密閉されているからです。例えば家でいえばどちらかの窓が閉じていたら風は入ってくることはできません。風を通すには少なくても二つ以上の窓を開いていなければ風は抜けません。これを人間でいうのなら、自他との信頼の窓を開いているかどうかということでしょう。

人は自分の感情や心を安心して表現できる、何を言っても大丈夫と言う状態をつくれるかどうかが風通しの一つの基準になります。自分がここに居ていいんだという安心感、居心地の善さが風通しを善くしていきます。そのためには、自己観照や自己内省をし自分のことに気づける内省的風土と他人の思いやりに感謝できる理念的風土を醸成する必要がある様に私は思います。

なぜなら自分か相手かという相対的観念や自己中心的な個人的観念が強いと自我を優先しますから己に負けていつまでも真心の窓を開くことが出来ないからです。いつも心を開いていることは自我慾を超えたオープンな姿勢、言い換えれば克己復礼、自他を信頼をしている姿でいることでありその姿が周囲をも安心させていきます。人は自分の我を押し通せば押し通すほどに風通しが悪くなります。そうならないように自我よりも真我といった、本来の自分の目指したい理想や理念、自己信頼を自らが裏切らないようにしてそれぞれが自分に打ち克つ実践を積み重ねて己の我に克ちつづける必要があります。

自他信頼ができる組織、皆のためにと自律できる人たちが集まれば自ずからその組織は風通しが善くなります。ただ対話をすればいいのではなく、自他との本心の対話と内省を通して風は通っていくように思います。

人間における風通しの風とは何か、その風は心の風です。

心が澱まないようにする創意工夫、その中にこそ人間の風通しがあります。私たちが実践する様々な取り組みはすべてその風通しの工夫から創出されたものです。

最後に二宮尊徳に、「我が道は,人々の心の荒蕪を開くを本意とす,心の荒蕪一人開くる時は,土地の荒蕪は何万町歩あるも憂ふるにたらざるが故なり」があります。あらゆるものの荒廃は心の中から発症しますから、その心田を開発すれば繁栄は尽きないということです。心に風を通す真心の循環の技法、まさにそれが私の目指す未来の子どもに伝承したいかんながらの道です。

引き続き風通しについて深め、心の荒蕪を耕す仕法を今に温故知新したいと思います。