場とは何か

日本の文化の中には、「場」という概念があります。最近ではパワースポットなどとも呼ばれ、その「場」にいくと不思議な力が宿っていてそこで何らかの力が引き出されていくと考えられています。

この「場」には何があるのか、そこにはその「場」を創りだしている意志があります。それを少し深めてみたいと思います。

例えば、ある組織の集団においてその集団をファシリテーションする人の存在はとても大きなものです。学校でいえば先生などがそれにあたります。幕末の松下村塾などは、吉田松陰という人物が志を掲げ塾を通して「場」を顕現しました。その「場」には志士が誕生し、沢山の同志たちが集まってきました。それもまた吉田松陰という生き方や意志が「場」に反映されているとも言えます。

先ほどの組織に戻れば、組織をファシリテーションする人物の思想や生き様、生き方や信念、その姿勢や実践がその周囲に「場」を産み出していきます。この「場」というものは、直接的に発生するのではなく間接的に発生していくものです。それは言い換えれば、祈りによって物事が成就することにも似ています。祈りというものは、神仏に祈るのですが祈っているうちに信じる力が備わってくると自分以外の他力によって物事は解決していきます。ここには直接的に自分がやってあげたり自分が何かをしなくてもその祈りによって時間が自然に物事を解決していくのです。そういう体験をしたことがある人は少なからず存在しているように思います。

これなどは先ほどの「場」に意志が働き間接的な力が引き出されて物事が好循環していくのですがその場作りをする人の意志がとても重要になるのです。

別に特別な力を感得していなくても、産まれてきたことや育ててもらったこと、今生きていることや授かっている全てが「何ものか」によって与えていただいたものだと感じるときそこに御蔭様といった「間接的な力」を感じることができるはずです。

この間接的な力は、意志によって左右されます。その人の理念、信念、初心、生き方、生き様、覚悟、大義によって「場」が創出されるのです。この場のことを別の言葉で言い換えれば「想念」と呼んでもいいのかもしれません。

どのような想いとどのような念を抱き生き続けているか、その意志を継ぐ者たちによって場が永遠に受け継がれて益々場はチカラが漲ってきます。パワースポットには、その太古から連綿と続いてきた意志の場が遺っています。その意志の場に自分を運べば、その意志の力の影響を受けて自分の内面にあるものが引き出されてきます。そこには間接的な力の密集地帯であり、その間接的な力を得て人は元気を取り戻すのです。

私たちが取り組む聴福人の実践もまた、この「場」をファシリテーションしていることと同じです。どのような場を創出するか、それは聴福人をする人物の想念に懸っています。その想念をどれだけ真摯に抱き、そこに「場」を創出するか、それはそこで働く人たちの気づきの集積と理念の反復、そして素直な内省によって育まれていきます。

「場」さえ出来上がってしまえば、あとはそれを受け継いでくれる存在が永遠に発展させてくれます。常に間接的な力によって物事が動いていくことを信じて、どんな想念を持つか、そしてどんな場をつくっていくか、日々に御縁を味わっていきたいと思います。