木との対話

今年の2月から修理に出ていた古い木の風呂桶が無事に戻ってきました。もともと木には寿命があり、長い年月経ったものですからあちこち傷んでいますが桶職人の方の深い愛情を受けて丁寧に修繕されていました。

その風呂桶は修理前に見たときよりも一層その生命力が増しているように感じ、愛着がさらに深くなったように思います。特に木という素材は不思議で使い込めば使い込むほど、また時間が経てば経つほどに善い色合い、善い雰囲気を醸し出してきます。

私達の風土や気候はとても木には最適であるようで、湿気を吸っては吐出し、まるで呼吸をし続けるように生き続けています。何百年、何千年とちょっとずつ年輪を刻んだ樹木は、その後私たちの暮らしの道具になりその育った年数と同じだけ異なるカタチになって生き続けます。

その姿はまるで地球の生命力を貯め込むかのような生い立ちです。

世界では樹齢数千年の樹がまだまだたくさん残っていると言います。厳しい自然環境の中で、じっくりと地下に根をはり年々の環境の変化に順応して生き残ってきました。私たちが暮らしてきた民家においても、木が用いられ大黒柱をはじめ家を支える元気なチカラをその後も放ち続けているように思います。

「根」という字は、「木」と「艮」でできています。この「艮」という字は、動かないで止めるという字です。そしてじっくりと成長するという意味もあり木が入るのでしょう。同じところに止まりじっくりと根をはり成長をするその逞しく健やかな生き方の象徴として私たちは「木」から様々なものを学んできたとも言えます。

諺に「根浅ければ則ち末短く本傷るれば則ち枝枯る」がありますが、人生も同じく根という基礎や基本がしっかりと張ってその上に成長しけるということです。根を深く張るというのは、それだけ日々の体験を着実に深め、その根からの養分を吸い上げて葉から吐出すという呼吸循環を通して揺るぎない信念を持つということです。

今の時代こそ根という見えない部分を大切にし私たち人間よりも長寿である長老のような存在にもういちど私たちは学び直す必要があるように思います。

引き続き、身近な木の手入れをしながら丁寧に関わり「木との対話」を味わっていきたいと思います。