日本庭の心

昨日は聴福庵の庭の手入れをしました。もう何年も手入れをされていなかった庭は、木々も天井にかかり、風通しも悪くなっていましたが昨日の剪定ですっかり様相が様変わりしました。作業は暑くて大変でしたが、手入れ後の庭は清々しい風が吹き抜けています。

町家には坪庭や奥庭というものがあります。自然をうまく取り入れて日本の四季折々を庭の変化と共に楽しむという日本人ならではの情緒や風情があります。庭の紅葉の変化とともに春夏秋冬を家の中から味わうことができるというのはとても豊かなものです。

今と違って昔は冷暖房設備は便利ではありませんでしたが、その分、気持ちの部分で様々な工夫を凝らして自然に解け込んで暮らしてきたのが私達の先祖です。この坪庭や奥庭には私たちの自然の愛で方の妙法があるように思います。

例えば、光の入り具合にある陰翳礼讃は家のなかだけではありません。庭には様々な角度を葉が覆い、その他、石燈籠をはじめ多種多様な光が庭に反射投映され独特な影を演出します。その庭の中にある光だまりの中に私たちは「あかり」を感じます。この「あかり」は、透けて観える光でありこの透けることは心の清純さ、純粋さをあらわし日本人の心の根を感じるように私は思います。

また他には空間というものがあります。床の間をはじめ、日本の家屋には「飾る」ということが空間の演出ではないかと私は感じます。和室に物を沢山置いてしまうとあっという間に空間が壊れます。敢えてものを仕舞い、片付け、シンプルにすることはここにも素朴で素直、清々しい空間の美が出て来ます。

この空間は、奥庭や坪庭にも演出され、どこにどのように植物たちを配置するか、何を削り落として空間を引き立たせるか。引き算の美学は空間の演出にこそあると、ここ数か月の古民家再生で感じるところです。家に教えてもらっているのは空間を活かすということ、削り取り引き算にし如何にシンプルにしていくかという古来からの日本人の先祖たちの暮らし方の伝承です。

自分で手入れをすることで家が喜び、家が充実してきます。昔のひとたちは家人たちによる毎朝の拭き掃除にはじまり、掃き掃除、その他さまざまな掃除をして綺麗にしてきました。日本の家に住めば住むほどに掃除がしたくなるのは、それだけ心の清浄を大切にしていこうとして心を澄ませ暮らした古人の心と同調するからかもしれません。

引き続き、古民家再生を通して生き方と働き方を観直していきたいと思います。