豊かさを譲る

今、時代はかつて人類が大切にしてきたものを手放してきているとも言えます。特に最近の世界情勢をみていたら、自分の国の利害ばかりを優先し他国を省みない言動や行動が増えてきています。

本来、思いやりや優しさは利他から生まれ自分のことだけではなく一緒に生きている周りのことを思いやるやさしさこそが本来の国の強さのはずですがそれをもここにきてまた手放そうとしています。歴史を鑑みれば、こういう自利ばかりを追いかけるようになると紛争が生まれやがて必ず戦争に発展していきます。身近な人間関係とも同じで自分さえよければいいという考え方が孤独を広げていくのです。

如何にそれぞれが周りを思いやるチカラを育てるか、それは幼い頃から思いやりや真心、友情や愛情の居場所を持てるかどうかではいかと思います。多様な価値観を持つ人たちの中で、様々なことを学ぶと言うのはもっとも効果があるのが協働や協力、そして思いやりなのです。

かつては、おじいさん、おばあさん、近所のおばちゃんやおにいちゃんおねえちゃん、その他、近隣のお店の人々にいたるまで地域が存在していました。悪いことをすると叱ってくれるおじさんがいたり、あらゆることは地域の中で学びましまた。そうして気づいたことは、自分一人で生きているわけではない、自分勝手ばかりをしてはならないということでした。

人は多くの人たちの中ではじめて自分の存在に気づきます。自分の行動が周りに大きな影響を与えることを学びます。その影響を知ることが自分さえよければいい、自分のことだけやっていればいいという我儘が如何に周りに迷惑をかけるのかを自覚するのです。

周りの御蔭様で私たちは生きられる、そういう御蔭様の真心を幼い頃から体験することで子どもは思いやりややさしさの本質を学びます。今は、地域が消失し、壁に仕切られ一人ぼっちになってもお金さえあればやっていける時代だともいえます。しかしその事から孤独になり、次第に居場所がなくなり寂しい思いをしているお年寄りや子どもたちが増えています。

福祉というものの本質は決してそういう人たちにやってあげるのではなく、御互いが見守り合えるように如何に居場所を用意するかということです。利害ばかりを追求しているうちに大切なコミュニティを失い、利害の影響を受けて孤立してしまう人たちがいるということこそが貧しいということです。

豊かな国になったはずが、かつての心の豊かさはそれと反比例しどんどん貧しくなっていく・・・そういうことに気づいた人たちが自ら立ち上がり、行動を起こしその貧しさに立ち向かっていくことも増えてきています。そういう希望や兆しも増えていますから、私たちも子ども達のために何ができるか真摯に考えていきたいと思います。

大切なのはもう一度、豊かさの定義を皆で見つめ直すことかもしれません。結果さえよければいい、能力主義や成果主義、または競争社会、比較の刷り込みばかりをもっていたら貧しさがより一層深くなるばかりです。道徳と経済とは本来分かれているものではなく道徳経済でした。道徳が経済に切り離されたことにより様々な問題が深刻なものへと変貌しています。経済にどのように新たな風を吹き込むか、それぞれの自覚が再生を担います。

その時、先ほどのような「場」という教育の在り方が、この失われてきたものを原点回帰し再生するための大切な鍵になるでしょう。

引き続き、未来に真の豊かさが譲っていけるよう子ども第一義の理念に沿ってカグヤは「見守る」ということの実践を広めていきたいと思います。