なつかしい未来

人間は誰にしろ「懐かしい」と感じる心を持っています。まだ幼い子どもがある景色をみて懐かしいと感じたりします。この感覚はいったいどこから来ているかということです。

「懐かしい」という字を辞書で調べると、(1 心がひかれて離れがたい。2 かつて慣れ親しんだ人や事物を思い出して、昔にもどったようで楽しい。3 引き寄せたいほどかわいい。いとおしい。4 衣服などがなじんで着ごこちがよい)(コトバンクより)などと書かれています。

本来、この懐かしいという言葉は「なつく」という語源から来ている言葉であり慣れ親しんでくる、つまり馴染んでくるという意味で用いられていた言葉と言います。

昔ながらの田舎の棚田をみて、稲作をしている人たちの仕事ぶりや様子をみると何か心に惹かれるものがあります。また古民家で暮らしている人たちの様子をみるとまた同じように心が何かを思い出しています。また一緒に暮らしてきた犬や猫、牛や馬、ツバメや雀なども今でも近くにおいて共に生きていこうとします。

私達は知識で認識できないものであっても、心は慣れ親しんだものをいつまでも宿しています。かつての記憶は私たちの心に生きています。思い出せないと思っていても、実際はなつかしいと感じる心が遺っていますからそれは忘れてはいないということです。

何百年、何千年と同じようにその場所で生きてその場所で暮らした記憶は慣れ親しんだ情景と共に心の中に生き続けています。そしてその安心感があるから、人は先祖とつながり、先祖がいてくれた御蔭様で今が在ることに心から感謝するようになります。

懐かしいという言葉を使う時、それは単に過去に戻りたいと言っているわけではありません。私が思う「懐かしい」という言葉は、慣れ親しんだ文化、自分たちの風土にあった馴染んだもの、その居心地の善さのことを言います。それは言い換えれば自分らしくいられること、日本人らしく生きること、自分たちがどのようなものと共に永らく道を歩んできたか、自分たちの個性を取り戻すということでもあります。

なつかしいままに未来があるというのは、多様性を維持しながら進化成長していくということです。画一的な西洋一辺倒の文化が先進的で価値があると思い込み、それを単にコピーするだけでは地球はもう発展を持続することができなくなってきています。成熟した社會を創造するには、もう一度原点に立ち返りそれぞれの違いを認め合い共に尊重して助けあっていきていかなければなりません。

世界は今、過渡期であり欧米、アジア、中東にある大国をはじめ様々な国家が成熟できず行き詰まりをみせています。なつかしいままに未来を切り開くというのは、本来の慣れ親しんだ文化を大切にしながら新しい時代を革新していくということです。それは自然に沿って人々が調和していく社會を築けるかどうかということです。何千年も生きてこられた智慧を捨てるのか、拾い直すのか、ここが人類の分水嶺ということです。子ども達のためにも何もしないまま指をくわえて待っているわけにはいきません。

温故知新の温故とは、この「懐かしい」という意味と同じです。本来の日本人らしい日本人のままに世界に出て自分たちの自然文化から世界の調和のために貢献できる成熟した人間を育てていく必要性をひしひしと感じます。

そのためにも何よりも自らの改革と実践あるのみです。伝承という懐かしさを深めつつ、何を新たにしていくか、子ども達のためにも日々に創意工夫し挑戦していきたいと思います。