子どもと場

現在、「こども食堂」という場が世の中に広がっているといいます。これはもともとは東京都大田区にある「気まぐれ八百屋だんだん店主」近藤博子さんが名付けはじめた実践が世の中に共感されているからだそうです。

このこども食堂という名前を聞けば、なんとなく子ども達が集まる食堂というイメージですがこれは子ども達だけが集まるのではなく高齢者をはじめ様々な人たちが集まる場だそうです。以前、新潟で拝見した「実家の茶の間」もそうでしたが如何に自分たちが居場所を感じられる茶の間を用意できるか、ここに今急速に失われている地域再生の根っこがあることを実感しました。

このこども食堂の定義は「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」となっていて子どもが一人ぼっちで食事しなければならない孤食を防ぎ、さまざまな人たちの多様な価値観に触れながら「だんらん」を提供することを目的にしているといいます。

つまりは一家団欒というものが地域から消えてしまったものを補うものでもあります。私が聴福庵の囲炉裏で用意しようとしているものにもここに共通するものがあります。囲炉裏を囲み、あらゆる多種多様な価値観が触れ合う中で一緒になって火(いのち)を囲む中に団欒があります。今はこういうものが失われたことから子どもは自分の持ち味や、自分らしさを実感できることが少なくなったように思います。

人は誰しも自分の居場所が見つけられることで自分の存在を確認できます。それは人格の根とも言え、自分の根がどこにあるのかを自覚することで植物のようにそこから養分を吸い上げ立派に成長していくことができるからです。

根元が不安定なものは、根なし草のようにふわふわと浮いていますし、根がないものはどうしてもその人生に不信や不安が付き纏います。自分が居てもいい、自分の居場所を認めてくれる仲間や家族の存在が合ってはじめて人は自分を肯定して自信を持て、世の中の社會に受け止められているという実感と自立が生まれるように私は思います。

自立も共生も、子どもの頃の多種多様な価値観、多世代交流、多体験によって育まれます。それは全てにおいて地域の見守りがあったことで成り立っていましたし、人類はずっと子どもを地域で見守り育て合うことによってここまでいのちをつないできたとも言えます。

昔は自然環境が厳しく両親が早死にすることもあり、もしくは自然災害で全員の身内を失ってしまうようなこともありました。しかしそういう時に、地域の人たちが見守り育ててくださった御蔭で立派にその後の子どもが生長し、またその御恩返しを地域にして発展し続けてきたともいえます。

そういう人の循環する「場」が失われているとしたら、これは共生社會の危機であり自立社會の危機でもあります。自分の個性が尊重されながらもみんなで一緒に生きていく仕合わせと心地よさを子ども達に体験してもらいたいと思います。

地域への伝承と合わせつつ、子ども第一義の理念を自分なりに発展させて貢献していきたいと思います。