完全な存在としての自分を認めること~本物の個性~

人は競争社会の中で比較され優劣を持つことで「できる・できない」を過剰に気にしてしまうものです。まるで「できる」ことはもっとも価値があり、「できない」ことは価値がなくダメなことだと思い込んだりしています。

これは優等生と劣等生と分けられ、ダメな人は頑張らせできる人はもっと頑張らせようとしたことでできた来た刷り込みのように思います。私が言いたいのは、できるかできないかを基準に物事を評価するのではなくその人らしいかどうかをもっと大切にするということです。

能力だけで人を裁くようになればなるほどに、個性が擦れて薄れていき能力を自信にしてしまうとできないことが悪のようになり自他を責めていくからです。自分がダメなことがまるで罪のようになれば、無理をして頑張り過ぎて本来のその人らしさが失われていきます。頑張らせようと誰かにされるのではなく、自分からやりたいと思うことに正直に生きていけばいいのですが今まで「できる・できない」刷り込みを持った人はやっているうちにできること(手段)が目的になってしまい本当の自分のやりたいこと(目的)が分からなくなってしまっています。このように「できる・できない」刷り込みによって目的と手段がすげ換る癖がつけば、最初は自発的にやりたかったことなのに気が付いたらどれも受け身になりやらされることになってしまうのもこの刷り込みの影響があるからです。

自分のやりたいことは、できるできないに関わらずそれが「自分の魅力や持ち味だから」だと思えるようになるのは自分の観念や価値観、意識をまずは変えていかなければなりません。

例えばできないことがあったとき無理をしてできるようになろうとせず自分は他にもっとできることがあるんだなと思うようなことや、やりたくないことがあったらもっとやりたいことがあるんだなと自分に素直になっていくことをやりながらもっと自分を認めていくことが必要です。

自信というのは、能力があるかないかではなく自分の求めていることに近づいているという実感があるときに湧いてくるものです。自分らしくいるためには、できるできないかを諦めてもっと自分のやりたいことをやろうと周りに遠慮せずに遣り切っていくことで個性が引き出されていくものです。

一人ひとりの人間はもともと何一つ欠けるところなく完全体で生まれてきます。欠けたところを無理に埋めようと完璧を目指してできるようになろうとすることで余計に本来の姿が歪になりおかしなことになってしまうのです。

「そのままでいい」「あなたのままでいい」と、完全であると自分が認めることで次第に自分らしさは表出されていきます。その逆に能力刷り込みが深い人は、「このままではダメだ」「自分がいけないのだ」と自分を認めようとせずに無理をして頑張り続けていきますがもしもそれで能力がついたとしてもそれは果たして心からやりたかったことなのかということなのです。

人間は社會を創造する生き物ですから、能力をみんなが一律に高め完璧な個々になるよりも個性を活かして助け合い思いやり協働していくことでお互いを認め合いそれぞれのやりたいことを見守り合うことで仕合せな世の中にしていくのです。

人工知能やロボットの技術が進化するなかで、高い能力を発揮していくその存在によって私たちはもう一度、自分とは何か、個性とは何かと見つめ直す時代に入るでしょう。

だからこそもっと自分自身を認め、できないことを諦め、もっと他に自分にしかできないことがあるんだなと持ち味に気づき、自分だけではなく周りに対しても「あなたのままでいい」と丸ごと信じてくれる存在に近づいていくことが子どもたちの未来を活かすことになると私は思います。

その人らしさを励まし勇気を与える存在になれるよう、そして子どもたちのためにも自分の生き方を見つめ自分らしい生き方のロールモデルを遺して譲っていきたいと思います。