絶対受容

本心を我慢して本音を誤魔化していると、自分の心をさらけ出すことができなくなります。自分の心をさらけ出せなくなれば、人との対話は難しく自分の中で決めつけた結論を優先し答えを出してしまうものです。

本心とは自分の感情を含めたありのままの自分のことであり、それを誤魔化し続けていたら自分を無理してしまい自分の方が先に斃れてしまうこともあります。ひょっとしたら感受性が鋭敏で繊細であるからこそ真面目さや優しさや相手の過度な気遣いからいつも無理をしているのかもしれません。しかしその我慢が降り積もれば自他のバランスが取れなくなり生きることが苦しくなり人間関係の喜びを感じることも難しくなっていきます。

この心のバランスは、当然自分だけの問題ではなく相手にも問題がありお互いのことを思いやり助け合う中で維持されていくものです。本来人は誰にしろ一人では生きていくことはできません、しかしその絶対共生の境地を持てるには本当の意味であるがままの今の自分を丸ごと認め受け容れることができなければなりません。なぜなら今の自分を丸ごと認め受け容れることができないでは、必ず思考や感情は偏り、その分我が増長し、我執に呑まれるようになっているからです。人間とはそういう生き物なのです。

この自我妄執は自ら進んで不幸になろうとしている生き方でもあります。その逆に、積極的にあるがままの自分を受け容れあるがままの自分をさらけ出すのは幸福になろうとしている生き方のようにも思います。自分の心をそのままオープンに伝えられる人は、自分との関係だけではなく他人との関係も良好に高めていけるように思います。

そのためにも、日ごろから自分はこう感じているけれどあなたはどう感じているかというようにあるがままの心をあるがままの言葉で伝えあえるような心と心の関係を築ていくしかありません。

それは同時に自分自身との関係も然りで、自分の心に正直になって自分を我慢せずに自分の本心を認めていってあげるのです。それはまるで自分の中に純粋無垢な幼い子どもが居て、その子どものつぶやきを善悪正否など大人の価値観で裁かずにそのままの心を受け止めてそうかもしれないねと笑顔で聴いてあげる受容のようにです。人はそうやって複雑で答えのない矛盾したものをそのままに受け容れ真理や真実を掴んでいくのです。そのプロセスがたとえ危ういものだと感じたとしても、その人にしかわからない天命や使命、そして魂の邂逅があり、そこに偉大な役割を担っているからです。

だからこそ今の自分を丸ごとを受容することが、他人の今を丸ごと受容することになります。傾聴も共感も大切ですが、この「絶対受容」こそ今の自分を丸ごと認めるになり、本来の自己関係、自他関係、全体関係を築き上げていく人生の仕合せの道しるべです。

過去の感情的なトラウマや、自分を我慢して押し殺してきた歴史や、優しすぎて自分を傷つけてきたものがあればあるほどこれはとても難しいことだろうとも思います。しかし自分が絶対受容できればきっと自分だけでなく同じように苦しんでいる人たちを癒し救え、そのことから自他を開放し自由にしあるがままの今の自分を生きる人たちを増やしていけるようにも思います。

仕合せとは自分を偽らずに生きていくことなのです。

私もまだまだ苦しみ倦んでいる途上ですが、謙虚を真摯に学び直し、自他みんなで一緒に人類や生命、そして自分自身が仕合せに生きていくためにも絶対受容する生き方を実践していきたいと思います。