個性を学び続けるということ

人間は誰一人として同じ人はありません。そんなことは誰しもわかっているはずですが、実際には自分と同じような考えを持っていると信じ込んでいたりするものです。

一人ひとりみんな違うというのは、それぞれ一人ひとりに異なった考え方があるわけで本来は「そんな考え方もあるんだ」と学び続けることが人類の持ち味の活かし方のように思います。

それを自分の価値観が分からない人を裁いたり、思い通りにいかないことに不平不満を言うのが人間ですがそれだと多様な考え方や生き方、個性を学ぶ機会を失ってしまうものです。お互いの成長のためには、折り合いをつけたり認め合ったりしていく必要があるからです。

確かに表面上はいくらみんな同じようにしておいて、それをみんなで守ることで問題が起きないようにすることもできます。実際には、大きな組織や標準化された企業などは機械の部品のように周囲の平均に合わせておけばたいして違いが引き立たず気になりませんから自分の価値観をさらけ出すこともありません。

しかし個性尊重で多様性を優先する小さな組織や、持ち味を発揮しようとするのならそれぞれの考え方や違い、物の見方や性格、価値観などがオープンに出てきますからそれもいい、これもいいねと、異なりや違いから自分自身が常にお互いの関係性から学び続ける必要があるのです。これが人類の智慧の根っこです。

つまりこれが個性があるということを肯定することであり、その個性をみんなで活かそうという自他尊重を実践していくということです。しかし同時にそれは「なぜ」こうなんだろうという苦しみもつれてきます。たとえば、なぜわかってくれないのだろうや、なぜこんないやなことをするのだろうや、なぜ理不尽なことさせるのだろうなどと理解できない苦しみに出会うのです。

そんな時こそ、違うのは当たり前だと認識し自分の知らない価値観があったと学べるか、こんな考え方もあるのかと発見するのか、それは単一の価値観をみんなに無理に認めさせ一つの価値観でコントロールするのではなく、多様な価値観を尊重しながらそれぞれに考え方の種類を学びお互いの価値観を高め成長させ続け自分の器を成熟させていく機会にするといいように思います。

私自身も、信念が強くこうであるのは当たり前と突き進むばかりに軋轢や葛藤、そして挫折や歓喜を繰り返しますがその都度、「いろいろな人間がいるんだな」と省みて、その考え方を学び直して自分の価値観を醸成して発酵させ続けています。

人が個性があることは素晴らしいことで、色々な人がいるから人類はここまで生き延びてこれた。そして自然の一部として自分の存在価値の仕合せを味わってこれたように思います。世界は、まさに多様な文化や人種の坩堝です。そのいろいろな考え方を一方的に否定し迫害するのではなく、尊重して折り合いをつけて同じ地球上で仲睦まじく暮らしていくことに向けて私たちは何度も戦争や平和を繰り返してきました。人類のとしての成長は、身近な個性を尊重することなのであり真の平和はその実践を一人ひとりが実行することで創り出すことができるように私は思います。

近い将来、人類はそれぞれの国家のために生産し経済効果のためだけの人の使い方を見直し、生きとし生けるものの個性を尊重しお互いを認め合い持ち味を活かしあう関係の時代に入ってくると思います。世界はまもなく一つに融合していくからです。

未来の子どもたちのためにも、今の自分が個性を学び続け個性の魅力や素晴らしさを伝道していきたいと思います。