藤森平司代表 古希祝及び出版記念スピーチ

古希祝及び出版記念スピーチ(2018年11月12日 藤森代表スピーチのリライトより)

私は目指しているところは出している本があるが、私たちは地球上に存在する人類の全ては中央アフリカから出たホモサピエンスです。

いろいろな人族が誕生したが、結果的にすべて滅びて、私たちホモサピエンスだけが生き残っています。特に最近の研究では、ネアンデルタール人は頭もいいし、道具も使うし運動能力も優れています。しかし、滅びてしまった。なぜ優れているネアンデルタール人が滅びて、ホモサピエンスが生き延びたかというと、私たちは、ネアンデルタール人より智慧がないので集団を構成したからです。その集団が大きかった。集団が多いと知恵を出し合える。道具を使ったのは、最初はネアンデルタール人だが、その石器はほとんど進化していない。ホモサピエンスは進化して、飛び道具も作っている。皆で協力する力があったから、ホモサピエンスが南アフリカから地球上に旅に出る。

グレートジャーニーという偉大な旅です。その旅で、まず行ったのがヨーロッパです。ここに住んでしまおうというのがヨーロッパの人たちです。もっといいところがあるだろうと、冒険心・好奇心がある人たちがアジアに渡ってきます。その後、オセアニアに行き、日本に辿り着くのは容易ではなかった。アジアから日本に行くのは2つしかない。上から来ると寒い、極寒の地を越えてこないといけない。下だと海を渡ってこないといけない。何度も渡ろうとするが、こりずにするのは好奇心が強い。そこでやっと辿り着いたのが日本人。何で辿り着いたかというと、好奇心が強かったのと協力する力が強かった。

特にチームワークがよくて、日本に辿り着いて、そう考えると、私は世界中の中で最も協力して、チームワークが強いのは日本人だと思う。ネアンデルタール人の遺伝子が少し混ざって、一番の多いのは日本人だろうと言われている。日本人はそういう意味で私は、もっとも優れていると思っています。ある意味では、幼さが優れている証拠です。

これをネオトミーというが、大人のように成熟しているわけではない。昨日、上海で講演をしていたが、こういうことを話した。赤ちゃんは何も知らないし、何もできない。次第にできるようになります。これより、もっと出来るのは大人。大人は色々な事が出来ます。赤ちゃんから大人になることが成熟だとします。大人よりもっとできるものはITです。ロボットが最も成熟した人なのか。この流れだと、成熟した人になってしまいます。これを逆で見ると、赤ちゃんは何もできない、何も知らないからやってもらわないといけない。その誰かは、出来る人にやってもらわないと生きていけない。そのために、赤ちゃんは出来る人を使いこなす能力を持っています。これが最近の研究で分かっています。

泣き声も、早くやってもらいたい時は、人類にとっての危機は呼吸困難で、そのような泣き声をする。そうすると、大人は早くしなきゃと焦るそう。現場で分かると思うが、酷く泣くときは苦しそうな泣き方をする。実は偽装泣きと言われている。これは意図していないが、何とか赤ちゃんは生き延びようと大人を使いこなそうとする。次第に出来るようになるに、従ってその能力がなくなってきます。今後、そうするとITの社会になります。それを私たちは使いこなさいといけない。そうしないと、ロボットに使われてしまいます。その使いこなし方を私は理論を作りたい。赤ちゃんが大人を使いこなすことから学んで、私たちはこれからの時代にロボットを使いこなす方法を見つけないといけない。

一時、『哲学する赤ちゃん』の本がベストセラーとなり、有名になりました。あの作者がTVで講演をしていて観ていたら、最後に「もう少し、大人は赤ちゃんから学びましょう。ネオトミーという幼さを学びましょう」と提案をしていた。私は、そういう意味で赤ちゃんは有能だと思っています。一時期、何もできない白紙に大人が知識を与えるものだと考えられていたが、これは子どもにとっての作戦だったと考えたときに、そういう意味から赤ちゃんに一番近いのが日本人。

今までの保育カリキュラムは、早く成熟していたヨーロッパのカリキュラムが世界中で使われている。アメリカも実は日本から渡った人たちは、ヨーロッパ人たちにとって代わられてしまった。日本から行った先住民の人たちはあまりいないので、アメリカもヨーロッパに近い。アメリカやヨーロッパの保育カリキュラムをずっと学んできたが、ネオトミーという赤ちゃんらしさや、好奇心の強さ。有能な赤ちゃんの精神を受け継いでいる日本人から、カリキュラムを提案するべきだと思っている。協力するという人間本来の力を人類は忘れてきているように思います。

私がシンガポールや中国で講演するテーマは、人類はもう一度、人類が協力して助け合うことを発信していきましょう、提案していきましょうと言っている。今は、自分の国だけいいという風潮になりつつある。そうすると人類は滅びてしまう。私たちは本来助け合って、生きていく生き物なので、今こそアジアから出すべきだと思っています。それから、ヨーロッパから出されているカリキュラムの多くは白紙論です。赤ちゃんは白紙だと思われている時代のカリキュラムなので指導する。誘導することが保育に出てきてしまっている。それが20年前に否定され、赤ちゃんは有能で、自ら学ぶ強力な学習者だと分かっています。それを引き出して、遺伝子として赤ちゃんから残してあげる。一時期、お母さんがいいと言って、二者関係で語られてしまっている。今日お配りする本にも書いているが、人類は、お母さんは9ケ月になると赤ちゃんを膝からおろして離乳をします。おろされた赤ちゃんは、共同保育をされていきます。これが人類の進化の中ではっきりしています。これをいつまでも抱っこして、お母さんの元にいるのは、霊長類の中で人類以外で、チンパンジーは4歳まで抱っこしますし、オラウータンは7歳まで抱っこします。人類は9ケ月でおろして、社会を学んでいく生き物が、私たち人類です。保育所、乳児保育というものが、これまでお母さんがベストの時代で、親信仰が強い中で、それが出来ない人が預かるのが乳児保育でした。それを進めていくと、私は人類は危ないと思います。乳児からの関わり、子ども同士が大事。集団にいることが、人類にとって大事なことだと訴えないと、乳児保育は母親に元に戻ってしまいます。

育休制度を延長しようとしているが、最近保育所で乳児保育がキャンセルされてきています。0.1歳の空きが出はじめています。落ちることを望み始めています。入りたいと言ってたのが、今は望んで落ちる事を望み始めています。落ちると育休が伸びるからですが、2歳まで家で育てているのは危ないと私は思います。保育界がもう一度、集団の大切さを訴えないと私たちは危ないと思います。

私たちの仕事というより、人類が危ないと思っています。そういう意味の提案をしています。「見守る保育」と言う言い方は色々な捉え方があるので勇気がいるが、私は「藤森メソッド」に変えたのは誤解を受けるので、そうではなくて、赤ちゃんから集団、子ども同士の関わりが大切。しかし、今の保育園のように働くためにあるだけでなく、10何時間も預けるのはおかしい。私は、育休を3歳まで伸ばすのではなくて、育児時間を3歳まで伸ばすべきだと思っている。3歳になるまでは4〜6時間くらいがちょうどいいと思っている。だからといって、家でいるという事はないと思います。

私たち現場が子ども集団の大切さを訴えないと研究者は出来ない。乳児と子ども同士の関わりの研究は不可能です。よくチンパンジーで研究するが、チンパンジーは4歳まで抱っこされる生き物なので、それで研究しても無理。それから、集団で生きる生き物なので、今ブログで書いているのが、絶滅種のインコがいる。これは集団で生活しているが、絶滅種なので、人間が捕獲して育てています。でも人間が育てています。自然に返すと全員死んでしまいます。集団で生きる生き物を個別で育てても、生きられません。人類は、集団で生きる生き物なので、個別で育てて、二者関係で育てるなら、世の中では生きていけないと思います。私たちが関わっている乳児保育が重要な事です。

発想を変えないと守れません。お母さんがいいとか、お母さんの関わりとか、丁寧に二者関係でやっている理論では、お母さんに返せばいいでしょとなる。私は、どうも危ないと思っています。ぜひ、現場を持っている皆さんが、子ども集団の研究を研究者の人に出して、研究してもらうようにしないと、机上の学問を押し付けてもダメだと思っています。これが世界の全体的な流れです。

OECDもそういう風に乳児の関わりを提案しています。私たちは人類の平和のため、協力し助け合う遺伝子を呼び戻したい。

皆さんと一緒になって、こういうことを深めて、実践をしていきたいと思っています。今日、集まって下さった皆さん、こういう事で親交が深められて、本来こんなに人が集まるのは、私の葬式くらいしかない。

葬式で集まっても、皆さんはいいが私がいない。私がいるうちに集まってもらいたい。本が集大成と言っていたが、私はまだまだ書き足りなくて、校正の締切の日まで差し替えて欲しいと言っていた。特に愛着の部分を差し替えたいと言っていた。今も本を出した後、次に書きたくてしょうがない。

今度は喜寿を目指して、何年後になるか。以上になります。今日はありがとうございました。

 

感謝の節目

昨日、恩師の古希祝いと「保育の起源」出版記念会が東京で開催されました。全国各地から250名を超える人たちが駆けつけてくださり大盛況のうちに終了しました。これだけ多くの方々から尊敬され、慕われる先生を観ていると有難い気持ちと共に改めて尊敬の念が込みあげてきました。

私は人生の半分を恩師と共に歩み、まだ人も少ないときから恩師の信じるものを信じて歩んできました。なかなか理解されなかったり、賛同者も少ない中でも恩師の信じる言葉と信じた理想を信じて切り拓いてきたように思います。

人は何を信じるか、そして信じたことをどれだけやり切るかで人生の未来が変わってきます。昨日、あの場に集まった人たちと恩師の話をみんなで真剣に聴き入る光景を眺めながら同時にこれまで歩んできた私自身の20年の振り返りも行うことができました。子ども主体の保育を実践する徳のある方々の思いや熱意にこの今も支えられていることを感じ、ここまでの道のりへの感謝を改めて実感したからです。

恩師から人類についての話がありました。

人は一人では生きてはいけない、必ず集団の中で育児をする。そのことで人類は生き延びてこれたという智慧の話です。保育の大切さを改めて語られました。私も持続可能な社会や人類の平和、永遠の繁栄を願うからこそ恩師の言葉を信じてここまでやってきました。

その恩師に昨日は「貝の首飾り」をお贈りしました。これは、古代の人類が貝を絆のお守りにしたことからです。かつて貝は財宝であり宝そのものでした。そして貝は中のいのちを守る存在でした。最初に赤ちゃんが生まれると、その部族や家族が「あなたを支え見守ります」という証に貝を持参して子どもに贈りました。その貝を結んで首飾りにしてその子を守りました。外敵もその首飾りの貝の量を観て、それだけ多くの人が見守っている人を簡単には襲うことはできませんでした。貝は仲間の信頼と見守りの証となって、様々な困難からその人の一生を「信じ見守り合う」ことで守ったのです。人類の自立は、貝を渡すその時に定まったのです。

貝の首飾りは人類が何百年も何千年も集団を形成し、厳しい自然の中で助け合い暮らし生きてきた智慧の証だったのです。

そしてその貝には、私の魂の同志である福田康孝さんに6000年前の貝を磨いて「GIVINGTREE」と彫り込んでもらい、左右に「縁」と「恩」の貝でつないでもらいました。これは「ご縁とご恩に結ばれる中に真の’見守る’は存在している」という意味です。そして首飾りを彩る多様な種類の貝をつないで「個性を尊重し合って絆を結んだ」という意味も籠めています。

透明に光る貝は、透明な心で磨かれ美しい光を放っていました。その貝に会場に来た皆様に「ネガイ」を籠めて触れていただき「私は仲間です、私はあなたを支え見守ります」という真心を入れていただきその貝を恩師に贈りました。

貝の一生は宿主がなくなって貝殻になっても新しい宿主を探し求め、その形なくなるまでいのちを守り続ける存在です。海の砂浜で出会う貝は、みんなそうやって宿主を探して漂います。神社の宿り木や依り代のように、守るそのものを遷して守るのです。皆さんの「ネガイ」が込められた貝が、これからも恩師を支え見守ってくれることを願い一緒にお贈りしました。

これから恩師も新しいステージに向けて、また新たな挑戦がはじまります。

これまでの支えや見守りがさらに恩師の信じる力に転換され、これから人類に向けて保育を伝道できるように祈り私も真心を込めていのちを懸けて尽力していきたいと思います。

ありがとうございました。