自然を楽しむ

今朝から郷里の飯塚では深々と雪が降り積もっています。三寒四温といって「寒い日と暖かい日を交互に繰り返し、徐々に暖かい日が増えて春を迎える」という天気俚諺(りげん)、ことわざがあります。これは中国東北部や朝鮮でのことわざですが、福岡は地理的なものもあってかその影響を受けやすいように思います。

もともとシベリア高気圧が1週間位の周期で強くなったり、弱くなったりするためと解釈されています。日本では地理的に太平洋高気圧の影響も受けるため、冬に同じ現象が起きることはほとんどないといいます。

まさに今はこの三寒四温の真っただ中で、数日前までの春の陽気と温かさから一気に真冬の景色になります。そしてまた週末から暖かいの繰り返しです。体もこの時期は、寒かったり暑かったりと服を脱いだり来たりと何度も繰り返しています。

私たち人間はこうやって服の着脱をして調整したり、暖房器具で乗り切りますが動物たちや植物、昆虫たちは大変なことです。

しかしこの先月から何度も暖かくなっては急に冷えと動物たちをはじめすべての生き物たちはこの温度差によって次第に季節とともに体の方も整えていきます。服の着脱がないかわりに、体の内部の方を切り替えては次第に今の気候に合わせていきます。

自然と一体になっている存在は、自然から離れず自然のままでいようとします。しかしそれでも急激な変化はどの生物にも厳しい状況ですからみんななんとかして寄り添ったり、暖をとれる場所に移動したりと必死に生き延びていこうとします。

この寒暖差を抜ければ、やがて穏やかで過ごしやすい春が訪れます。春は、新しいいのちの芽吹く季節でそのためにみんな春を待ち遠しく思っています。桜の花が咲くころには、穏やかな風や気候に変わってきているでしょう。

四季があることは、とても豊かでありいのちを元気にしていきます。自然に感謝しつつ、変化を楽しみたいと思います。

 

 

想いを大切に誇りを見守る

人には様々な「想い」というものがあります。その想いを受け継がれていくことで、ますますその人たちの想いが豪壮になっていくものです。最初は小さな想いでも、それが積み重ねていけば次第に大きくなっていく。その想いを穢さないように、その想いを育てて見守っていくように誇りがあります。

よく物事を観察していると、誰にしろ大なり小なりの想いがあります。その想いに引き寄せられて、その想いを受け継ぎ、その想いの一部を担います。想いの連鎖は、時間を超え、場所を超え、それが人の想いを通して結ばれていくのです。

まるで伝言ゲームのようですが、一つ異なるのはそこに大切な想いを扱っているという自覚と、その想いを守りたいという願い、そして想いを信じて実践してきた祈りのようなものが入っているのです。

できるだけ正確に、そして以前よりも磨いて次の方に受け渡していきます。その想いを粗末にしないように、粗末にされないようにと細心の注意を払います。つまり、想いに対する配慮をしていくのです。

現在、古民家甦生でいろいろな事情で空き家になったところを引き継いでは甦生させています。しかしその空き家といっても、そこにはそこで生活をしてきた人たちの大切な想いが詰まっているもので特に長ければ長いほどにその想いは醸成され強いものになっています。

その想いがあるゆえに、簡単には片づけられないこともあるのです。特に想いを無視するような無配慮なことがあれば、誇りをもって対応するでしょう。その誇りは、損得度外視で「想い」を大切にして判断するのです。

誇りというものは、「想い」と連動しています。どんな想いを持っていたか、それは目には見えなくてもその想いを受け継いだ人にはとても大切なことなのです。現代の物質文明では、想いなどというものは目に見えないものですからお金で解決したり簡単に事務処理で片付けようとします、しかし、想いを持っているからこそ生命があるのであり、単なるモノではなくなります。そこに一つのいのちが存在するのです。そのいのちが壊れないようにと想いを大切にしていくのです。

またその想いが働き、想いに人は集まってくるのも事実です。

想いを粗末にしないように、想いを大切にするような配慮を私自身も気を付け、丁寧に真心をもって接していきたいと思います。

いのちの暮らし

現代は、物質文明でモノ化している世の中ですからなかなかいのちのようなものを重んじる風潮が失われてきつつあるように思います。苦しいことを避け、便利なものばかりに飛びつくのもまたこのモノ化する文明の価値観が拡大していくからでもあります。

なんでもモノにしてしまえば、いのちへの配慮なく便利なもののために壊してよくなっていきます。壊しては失われてしまうものも、仕方がないとモノ化を優先すればそのうち自分たちのいのちもまたモノ化されていくように思います。

そうならないように、日々の暮らしを整えいのちに感謝していくような不便さを楽しむ力が必要になります。

そもそも不便や苦労というものは悪いものではありません。苦労は実は楽しいもので、修行も同様にそれをやること自体に喜びがあり仕合せがあるものです。なんだか今の時代はそれは変人のようにいわれますが、むかしの時代の修行はただ苦しいのではなくその苦しみの中に深い喜びを感じていたのがわかります。楽に傾いている価値観の中では、苦はよくないことになっています。この苦の意味がそもそも違っているからそうなるのです。もともと苦楽は同じですから、苦も楽もどちらも仕合せの種になっているのです。

その仕合せの種をどう味わい育てていくのか、その育て方こそが暮らしなのです。

暮らしを充実させていくというのは、好奇心を失わない生き方を優先し、いのちを大切に物を活かすということでもあります。

そういう生き方をしている人は、日々を暮らしの実践道場として日々に新たに物事を丁寧に紡ぎ取り組んでいきます。その取り組みは、仕合せの種まきともいえるでしょう。

生まれてきて死ぬまで私たちはいのちがあります。

いのちを最期まで大切にすることは、最期までいのちを実践することです。いのちの実践は、いのちがあることを忘れないでいのちだと思って生活をし続けることです。つまり古来からある日本の伝統的な暮らしを大切にしていくことです。

子どもたちのロールモデルになるような生き方を伝承していきたいと思います。

 

自己自然の感受性

季節の変わり目というものは、風や雲、雨が動きます。日本では特に四季が豊かで、あらゆる種類の風や雨が降ります。小さな変化を敏感に察して自然と共生してきた日本人たちは、同じ風であっても同じ風に感じず、同じ雨雲であっても同じ雨雲とは思っていなかったのでしょう。

そういう意味では、私たちの五感はその微細な変化に順応しながら四季折々の自然循環の流れを察知して独特な情緒をもち日々を豊かに暮らしてきたことを感じます。

例えば、日本の風の種類には2000以上あるといわれます。これは農家や漁師が、微細な風に名前をつけては天気予測をしていたことがわかります。

数が多くて全部は書けませんが、例えば風であれば、つむじ風、そよ風、台風など、雨であれば、花時雨、桜雨、緑雨など、雲であれば東雲、瑞煙、慶雲など、全部足せば覚えられない量の種類が存在します。

私たちは雨だからただの雨だという認識ではなく、そこに季節や自然との深いつながりを察知してその季節を感じ取っていたのです。

豊かな言葉は、この自然の恵みそのものでありその自然の産物として私たちは言葉を大切に深く味わい暮らしに活かしてきました。私たちは知らず知らずのうちに、この日本の風土の恩恵によって豊かな感性を育まれたのです。

瑞々しい料理ができるのも、音楽が誕生するのも、芸術はその自然との共感や共生によって導きだされたものです。同時に文化もまた、同様にそれらのものが調和して誕生してきました。

子どもたちが自然に育つ中に、この自然の微細な感受性をより昇華できるような環境を用意していきたいと思います。日本の風土や文化芸術を守るのは、日本人の豊かさを守っていくためです。

引き続き、暮らしフルネスの価値を発信していきたいと思います。

新たな施浴伝説

歴史というのは、普遍的な私たちの先生です。困難な時こそ、今にあたふたするのではなくもう一度歴史に学び、今を考察していく必要があると思います。

今から1300年前、聖武天皇が治めた奈良時代に天平文化というものが花開きました。この時代は地震や疫病の大流行ありました。天然痘と思われる疫病では総人口の3割前後が死亡したとも言われています。

この疫病は権力者や貴族であろうが関係なく広がり、藤原不比等の息子4人兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)も病死しています。この時代は、地震や疫病から飢饉にまで発展しどうにもならないことが続きます。

だからこそ聖武天皇は仏教の力をかりて国分寺や国分尼寺を各地に作らせその総本山の東大寺と法華寺を建て大仏を建立したといいます。

先日、大三元大師のこともブログで書きましたがもともと節分の豆まきもここのとき宮中で行われた疫病を持ち込む鬼を国外に追い払う追儺に起源があるといわれます。感染症と地震は連動していて、今こそもう一度、歴史に学ぶ必要があるのです。

私が建立した原点サウナでもある、祐徳大湯殿サウナはこの時代の歴史も参考にしています。かつて古くから入浴と仏教には密接な関係があり入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まるとされます。この時代、施浴といいお寺では寺僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放していたといいます。この施浴にまつわる伝説で有名なものが「光明皇后の千人施浴」です。

この光明皇后(701年から760年)は日本の第45代天皇・聖武天皇の皇后です。この光明皇后も天然痘で3人の兄を亡くしその生家である藤原不比等の邸を寄進し、その跡地に奈良に法華寺を建立して兄たちの菩提を弔います。

仏教への信仰心も篤く、社会のためにと真心を尽くしていた皇后がある日夢で仏のお告げを聞きます。そこで法華寺の施浴を建立し、千人の垢を洗い流す誓いをたてるのです。

そしてその千人目に現れた者は、肉がただれて血膿が噴き出たらい病の人でした。しかし皇后は自らその者の体を洗い、乞われるままに流れ出る膿まで吸い取ってやります。すると浴堂に紫雲が立ち込め、患者は瑞光に満ちた金色の仏に化身して「我れは阿閑(あしゅく)仏なり」と言葉を残して消えたといいます。

これはその後、ずっと人々の間で口伝で伝承されていて時代を超えて今でも人々の心に響くものがあります。世界ではマザーテレサなども同様に、深く人々の心を救おうとし真摯に手当てしてきた生き方が感じられます。

またこの光明皇后は千人の施浴の際、信仰の深い3人の女官に手助けをしてもらっていたといいます。そのこの女官のことを「典侍(ないしのすけ)」といって人々は3人を三典(さんすけ)と呼びました。これが銭湯で風呂を焚き、浴客の体を洗う男衆の呼び名である「三助」の由来となったといわれています。

つまり「施浴」を手伝い、人々の心の穢れや体の汚れ、ありとあらゆる苦難を癒そうと日本の石風呂(蒸し風呂サウナ)を活用したのです。

今の時代に似ているものを感じ、ここに共通の信仰の源泉を私は感じます。大げさかもしれませんが、私もこの祐徳大湯殿を建立する際に誓いを立てています。その誓いに恥じないように、歴史に学びこの時代に相応しい新たな伝説をはじめていきたいと思います。

役立てることだけ

2024年上半期くらいより新紙幣として、北里柴三郎さんが登場します。日本細菌学の父と呼ばれていることは知っていましたが、暮らしフルネスを続けていく中で何回もその言葉に鼓舞されます。

現代は、コロナウイルスだけではなく精神疾患も増えていて心身を病んでいる人が増えてきています。社会の仕組みから、自分らしくいられなかったり、個人主義の歪みから自己をうまく守れなかったり、実際には根深い問題が関係しています。

しかしだからこそ、それを悪とせず、その状況を活用して新しい生き方や働き方を創出し、暮らしによって心身をととのえていく喜びや仕合せを広げていけるということでもあります。

人間が心を蝕まれれば、それが対立や差別を生み戦争を巻き起こすこともあります。その心の病気は体の病気の影響もありますが、やはりまずは心の健康を維持するために予防していくことが第一だと私は思います。

これからIT化がますます進み、この課題は必ず人類の発展に大きな影響を与える問題です。それに気づいた人たちが、力を合わせて心の世界を科学的にも非科学的にも調和させていく必要があると私は思います。

先ほどの北里柴三郎さんはこうもいいます。

「医学の使命は病気を予防することにある」

現在の医療は、病気になった後に行う医療ばかりです。本来の医療は未病にこそあり、病気にならないことがもっとも病気を制しているのがわかります。人間は多かれ少なかれ必ずなんらかの病気を持っています。その病気が悪化しないような暮らしを行うことで、予防ができ医学も進歩すると私は思います。そのためにも、暮らしフルネスが必要なのです。

もう一つは、こうもいいます。

「事を処してパイオニアたれ。人に交わって恩を思え。そして叡智をもって実学の人として、不撓不屈の精神を貫け」

そして、

「研究だけを、やっていたのではダメだ。それをどうやって世の中に役立てるかを考えよ。」

まさに今は、この言葉が心に沁みます。まずは具体的に取り組んできたことを形にしてみんなができるように役立てることであり、研究ばかりをしていてはいつまでも何も変わりません。そもそも何のために研究するのか、それは世の中に役立てるためです。

カグヤで取り組んできたことの様々な実践や、様々な社内の研究はすべて子どもたちや社会のために役立てようと真摯に資金も時間も人員も投入して取り組んできたことです。

それを今こそ、世の中に役立てるようにしていく時機であり何のために会社をやってきたのか、何のために働いてきたのかが問われる場面でもあるのです。

初心を忘れずに、今までの成果をご照覧いただけるように「役立てることだけ」を考えていきたいと思います。

 

 

 

大和魂とともに

様々なことを研究することを通して人は、その本質や真実を磨けます。そうやって得た知恵を今度はどのようにして社会の役に立てるのかに挑戦します。その時、はじめてその知恵が人々の間で活用できるようになるともいえます。

私は研究が好きで、つい研究に没頭していく性質があります。自然物をつかった研究が特に好きなので、深めていると寝食を忘れるほどに没頭します。それがある一定のところまで形になると、今度はそれを役立てることを考える時機がきます。

その時機に合わせて、自分が本当にやりたいことややりたかったことを見つめなおしていきます。道具が揃い、環境が整い、いよいよ世の中に発信するという状況のことです。

実際には、今まで積み重ねて積み上げてきたことばかりですからそのどれもが社会の役に立てるものばかりです。

一つの真理にたどり着けば、それは自然の摂理を学び悟ります。しかしそれだけではこの世は動かず、人間の摂理というものも学ぶ必要があります。人間がどのようなもので、人間が何をもって真理に救われるかという問題を研究しなければなりません。

私は保育というものを研究しながら人類の行く末や子どもたちの可能性や希望ばかりを追いかけてきました。

ここにきて、それをどう合致していくか。調和させていくかの一つの大きな節目を迎えています。今、その時機が到来してみて自己の深い心のうちと向き合い対話することばかりです。

こういう時は、誰とやるのか、ご縁を辿った方がいいのかもしれません。結果を恐れずに、やむにやまれぬ大和魂とともに歩んでいきたいと思います。

ガラスの伝承

先日、ある作家の吹きガラスに出会い購入しました。この吹きガラスは、日本大百科全書によれば「ステンレス等のパイプ管で溶解したガラスを巻き付けて、息を吹き込みながら成形するガラス工芸の手法。大きなガラス器を作製する場合は、息を吹き込んだガラスの塊の上に溶解ガラスをさらに巻きつけ息を吹き込む。宙空で一切の型を使わずにベンチとよばれる作業台の上で洋ばし(ジャック)やコテを用いて自由に成形する宙吹きと、型の中に溶けたガラスを吹き込み成形する型吹きの2種類がある。宙吹きガラスとしては長崎ちろり(酒器)が有名で、型吹きとしては角形、菊花形、草花文様などがある。」とあります。

そもそもガラスの歴史は古く、石器時代から使われていたといいます。日本でも青森県亀ヶ岡遺跡(縄文時代晩期)の青色ガラス小玉が出土しています。もともと自然に発生したガラスは火山のガラス黒曜石であるといいます。

この黒曜石は、縄文や弥生時代から包丁や矢じりなどに使われています。これが世界中で交易されたことも遺跡の出土からわかってきています。人工的にガラスが製造された歴史は、北シリアの海岸、 メソポタミア、あるいはエジプトで製造されたと推察されます。実際には、古代の人はガラスなのか陶器なのかの違いはあまりわからなかったように思います。天然の資源を溶かして加工するうちに、様々なものが入交りガラスになったのかもしれません。

しかし今では、私たち人類の生活に必要不可欠なガラスは暮らしを実に支えています。家の窓ガラス、コップ、車、携帯電話、眼鏡など、照明などあらゆるところで使われています。

最初からあるから気づきませんが、このガラスの発明と加工技術の発展のおかげで私たちの文明はとても助かっているのです。

吹きガラスは、日本では伝統工芸として「江戸切子」や「琉球ガラス」など各地の特色を活かしたものもあります。

当たり前にあるものをもう一度、きちんと再定義して学び直すのは自分たちがいかに先人の遺徳や恩恵を享受していることに気づくために必要です。そして感謝とともに私たちの暮らしがあること、暮らしの中にこそ私たちの歴史があることを気づきなおす必要があると私は思うのです。

子どもたちの未来のためにも、正しい歴史を暮らしを通して伝承していきたいと思います。

 

人類の岐路

久しぶりに古いノートパソコンを出してきてブログを書いています。現在のパソコンが、ウィンドウズの更新をしてライセンスがなぜか認証できなくなり、復元したところ完全に立ち上がらなくなったことによるものです。

日ごろから効率よく仕事をパソコンでしていましたから、そのパソコンが立ち上がらなくなるというトラブルの与える衝撃はかなりのものでした。それだけパソコンに依存しているということでもあります。

現代は、携帯電話を持っているのは当たり前です。田舎で電波のないところにいくと、使えなくなりそこに電池が切れると時間すらわからないという具合になります。知らず知らずに、多くの情報や道具としてこのパソコンや携帯を使っていますが突如として使えなくなるとどうなってしまうのかという不安に陥るものです。

今回は、3年以上前のパソコンを取り出してきましたがスピードも遅く何か作業をするのにかなりの時間を要します。もう一つ前の代のパソコンは立ち上がるのにも数分かかります。さらに前のとなると、もはや故障しているパソコンのような状態です。

この十年くらいでそれだけの速度の変化があり、扱う情報量も膨大に変化しました。そう考えてみたら、時代は確かに変わったという感覚を実感として持てるものです。

このように機械の性能が上がれば上がるほど、機械への依存度は高まっていきます。しかし機械が壊れたりなくなれば他の方法がすべて一瞬にして喪失します。このことは、これからの人類はよくよく考えなければなりません。

一つのものに依存するというのは、それ以外のものがなくなるということです。分散して依存すれば何かがなくなっても、他の代替え機能があるのでそれによってリスク回避はできます。しかし分散していなければ、もしもがあれば身動き一つとれずにすべてを失ってしまうのです。

現在、商売でも独占的に富を集中したり、このパソコンのOSのように一局集中して標準化するのは便利なことです。しかしこの富や便利さには一種の危うさはつねに付き纏います。歪な依存は、有事を乗り越えるのにはリスクが高すぎるのです。

この先、コロナが収束しても同時に第二、第三の自然災害が発生する可能性があります。地球規模で環境の変化が起きていますから当然、人類も変化に巻き込まれていきます。気温や湿度など、水分量が変わればそれ相応のウイルスはまた出て来ますし、生態系が変わるから食糧事情は今までのようにはいきません。資源がこのペースで失われれば、あらゆる業態に影響を与えます。

つまり今は、人類の岐路なのです。

今回のパソコンが壊れてから、改めて分散することの大切さに気付き直した気がします。私の取り組んでいる暮らしフルネスのハイブリットハイタッチな働き方や生き方を子どもたちや民族の未来に伝承していきたいと思います。

コロナワクチンの未来

世界ではコロナウイルスのワクチンの接種がはじまっています。改めてワクチンの歴史を振り返ってみると、色々と考えさせられるものがあります。これから日本でもワクチンの接種がはじまりますが、最終的な責任と決断は自分自身になるので事前によく検討しておく必要があります。少しワクチンのことを深めてみます。

このワクチンという言葉の語源は雌牛を意味するラテン語Vaccaからきています。1798年に、イギリス医師ジェンナーが牛痘(ぎゅうとう)ウィルスを人に接種することで天然痘が予防できることを発見したことに由来があります。

そもそもワクチンのはじまりはいつかというのは、あまり分かっていません。一説によれば紀元前200年頃の古代中国や紀元1000年頃のインドだとも言われます。しかしもっともワクチンのはじまりにおいて有力なのは、今から約300年前のメアリー・モンターギュ夫人が、トルコ人が行っていた天然痘の予防を知ったことからはじまります。

トルコではその当時、症状の軽い天然痘から採取した液体を接種していました。かつてこの夫人は若い時に天然痘で死にかけた経験があり子どもが同じように感染することを恐れてトルコ式の予防接種を受けました。それを母国の親類などにも接種していきました。その後、夫人の従医が1724年に英国王立協会に予防接種の科学的説明を提言するとイギリスとフランスで予防接種が採用されるようになりそれがヨーロッパ全土に広がったといいます。

さらにイギリス人医師・エドワード・ジェンナーが、牛痘 ( 牛の天然痘で人には毒性が弱い)にかかった人間は天然痘にかかりにくいこと見つけ、検証をして1796 年、天然痘ワクチン (種痘)を完成させたといいます。

この時ジェンナーが雌牛で実験したことから「ワクチン(vaccine)」という言葉ができたのです。実際にはこの当時、エドワード・ジェンナーはなぜこのような現象が起こるのか理解できていなかったといいます。これは後世の研究者たちによって解明されていきます。

そもそもこのワクチンの効能は、免疫系に働きかけることで外部からの攻撃に対し準備をすることで感染を予防します。言い換えれば、無害や弱毒性のウイルスを先に摂取しそのことにより白血球のB細胞とT細胞が活性化され、記憶細胞をつくります。そうするとこれらの細胞は、人体の中で数十年間は増殖し続けることになります。記憶細胞が働くことで、同じウイルスに遭遇したとき白血球がすぐにそのウイルスを破壊するという仕組みです。

この記憶免疫は一度感染した病原体に再度感染した時に初回よりも迅速に病原体を攻撃します。かつて病原体などの異物を攻撃するために活躍した感染の記憶がある細胞の一部が記憶細胞として身体の中で生き続けることで同じ異物が再び侵入した際に迅速に反応するという仕組みです。人間が一度かかった感染症には二度かからない、もしくは感染症にかかっても軽い症状で済むのはこの記憶免疫を使っています。

人間には、自然免疫といって生まれながらに備わっている免疫。言い換えれば先祖が感染してそれを記憶免疫として残して譲ってくれたもの。また獲得免疫といって自分の身体であとから得る免疫があります。なぜ獲得免疫が必要かといえば、インフルエンザなどのウイルスなども頻繁に突然変異するのでその都度、新しい免疫を獲得する必要があるからです。

今回のコロナウイルスは、インフルエンザに近いものだと言われます。そうなると、変異がたくさん発生する可能性がありますからワクチンが追い付かず獲得免疫によって乗り越える必要があることも予想できます。

ワクチンは副反応というものがあり、いくら無毒化したワクチンでも体内の免疫系に働きかけるものなので完全に「無菌・無毒のワクチン」というものなどは存在しません。それにいくら弱毒性や無害と謳っても本人の体が弱っていたり病気がちな人、高齢者などは弱いウイルスでもそれがかなりの強毒性や有害になることもあります。

人間には寿命もありますから、ワクチンは決して万能の薬ではありません。今回、人類はこのコロナウイルスにはワクチンで対抗しようとしています。簡単に言えば、全人類にこのコロナウイルスを持たせようという感じなのでしょう。

果たしてこの結果がどのようになるのか、経過をみんなで知恵を出し合い見守りたいと思います。いずれにしても免疫とは何なのか、そして健康とは何か、今一度原点に帰って子どもたちの未来のために今を生き切っていきたいと思います。