例大祭の御礼

昨日は無事に例大祭を執り行うことができました。深いご縁のある多くの方々にご参列いただき、祈願後、とても神社や周囲が光り輝いて甦生しておりました。いのりの力は偉大で、こうやって人々の真心がご神体そのものを磨き光らせることを知りさらなる精進をしていこうと真心に帰しました。

コロナウイルスで集まれないからこそ、神事を大切にみんなでこの困難を支え合い乗り越えていくことを祈願する。まさに、人類はこうしてみんなで祈りを捧げて結束を強め結びつきや絆、真心によって道を拓いてきたことを実感します。

確かに具体的な予防をしていくことも大切ですが、禍を転じて福にしていくという生き方そのものが人類の未来を明るく希望に満ちたものにしたのでしょう。

この祈りの日を忘れずに、この一年も丹誠を籠めて祈りを捧げていきたいと思います。

思えば、私たちは日常の中でさまざまな出来事によって感情や心が波立つものです。これは雲一つなく風もないうららかな快晴の日であったものが、大嵐が来て強風が吹き、雨や霙などが降ってきて大荒れの日であるかのように変化しています。

時として、災害級の出来事もあれば、また平穏無事な日々を過ごすこともあります。まさに天気や天候のように、私たちの心情もまたこのように変わり続けている存在なのです。

その時、私たちは穢れといったものを引きずることがあります。それはネガティブな感情や不安などをずっと抱えていくようなものです。天気や天候は、自然に恢復していきますが人間の心情はなかなか自然のようにはいかないものです。自然が私たちを守ることもあれば、厳しく戒めることもあるなかで私たちは偉大な見守りの中にいて生きています。

つい忘れかけてしまう、生かされていることの有難さや満たされていることの仕合せを穢れを祓うことによってさらに善いものへと甦生させていくことが私たち人類の修養になっているように思います。

お祀りは、この魂を磨き心身を清め、真心で素直に明るく生きていくことを私たちに諭してくれます。日々に精進し日々に修養する、人格を育てていくことで自然と一体になり和することでこの世で記憶を鮮明に甦生するのです。

来年の例大祭に向けて、また新たな精進と修養に励みたいと思います。