神話のはじまり

むかしから神話というものがあります。はじまりの神話というのは残っているところも多く、それを口伝で伝承してきたから私たちはその話を知っています。文字がなかった時代、記録しようもなくそれはずっとみんなで口伝えしてきました。

そう考えてみると、いつまでもはじまりの理由を忘れないようにと先人たちが子孫へと知恵を譲ってきたのでしょう。この知恵の正体は、一つのご縁のことだと感じます。

今の私たちがあるのは、あるご縁がずっと結ばれて繁栄してきたからにほかなりません。最初の一人からはじまり、二人になり、それが四人になりとそうやっているうちにかなりの人の数と合わせて相当な数の人生が誕生しました。その一つ一つには、物語があり、その物語は実は原始からずっと繋がっています。

なんで今、自分がこんなことをしているのか。それを思い返すとき、はじまりからのご縁でこうなっていることに気づきます。

例えば、息を吐けば次に吸います。それは吐くというご縁によって吸うが誕生します。何かを開けば何かを閉じるご縁に結ばれます。このように私たちは常に動静を繰り返しながらご縁を織りなしていきます。

神話は、そのはじまりの糸がどのように結ばれたのかを知るものです。それをひも解いていく時に必要になるのです。

人間の歴史を観察してみると、その時々で原点回帰が必要になるときがきます。そんな時、今の複雑に繁栄したご縁をひも解き、もう一度、そのはじまりからやり直すという温故知新が必要になります。

まるで反物の糸を解いてもう一度、織りなすようにこれを繰り返しその時代時代に本質や普遍性が失われないようにやり直すのです。やり直すときの出発点こそ、神話ということになります。

為政者たちによって色々と都合よく書き換えられてきましたが、神話には一つの真理と普遍性があります。それをひも解くためにも、私は英彦山宿坊の甦生に取り組んでいます。

どのような真実が出てこようとも、謙虚に畏怖の念を忘れずに真心を籠めて取り組んでいきたいと思います。