謙信の実践

人間が本当の意味での自信がないと過信してしまうものです。自分の力でやったと思いたいこともあり、自分の強さを肯定してきたからこそ過信になります。本来の信は、過信でもなく不信でもなく謙信です。

この謙信のままでいられるかというのは、本当に日々の精進しかありません。

私もつい過信したり不信になったりと行き来を繰り返します。自分の力の使い方がまだ自分だけに偏ったり、大いなる恩恵や天の味方に支えられていることを忘れ慢心してしまいます。我がありますから、どうしても目先の結果に一喜一憂してしまいますが本来は目的に対してどれだけ無心になっているかというものもあります。

試されることばかりで、自分との正対が続く日々です。

本来、人は一生修行です。

修行していることが悟りであり、悟りが修行。そして徳を積むことが陰徳であり、陰徳は謙信を生きることで磨かれます。

現代の世の中は、消費する方に傾いて流れています。みんなで消費し消耗することばかりです。このような時代、本来の徳を見出してその徳に報いていこうとはしなくなっていくものです。

しかし、真の幸福はこの無尽蔵に存在する天の徳や御蔭様の働きの中に生きるときに深く味わい感じられるものです。

自分自身を貫いていくことに弱気になって、本当のやさしさという強さに気づかないで生きるのはとても残念なことです。弱さを信じて力に換え、孤独を楽しみ味方につけて、一期一会の今のままであることはまさに未来の希望になることであり謙信を実践していくことです。

英彦山の甦生に関わりながら私自身が試され、学ばせていたらくことばかりです。日々の実践を疎かにせず心を正し続けていきたいと思います。