場で遊ぶ

私は、場の思想や場の道場をしていますがそこには5次元という空間を体験できるようにしています。現在は、メタバースなど仮想空間とリアルと合わせた造語も出ていますがもともと空想と現実は常に一体になっていますからそれを目に見える形に科学技術で実現したということでしょう。

この先は、量子論などが取り入れられそのうち4次元という空間も科学技術で可視化できるようになるのかもしれません。

もともと私たちは感性や感覚として次元や空間というものを直感できるものです。例えば、ある場所にいくとなんだか心が安らいだり、もしくは畏怖を感じたりするものがあります。

これはその場所に、目には見えない様々な次元が集中していることを直感しているともいえます。私が使う「場」は、単なるプレイスではなくあらゆる次元の集積場ということになります。

あまりこういうことを言葉にすると誤解があるかもしれませんが、これからの時代は「場」こそもっとも世界が関心を持つものになると思います。

そもそも私たちはご縁の世界に生きているともいえます。今の自分があるのもこの世界があるのも、長い歴史の中で、常にあらゆる繋がりを創造し意識は融合されていきます。その場に、人だけではなくあらゆる物や意識も集まっていきます。まるでブラックホールのように、一度、高密度で存在をはじめた場には、何かを引き寄せるような吸引力が働きます。私たちの生命は、遠心力と同時に求心力も働きます。つまり、陰陽、拡大と縮小、相反するものを同時に循環させ一つのいのちとして調和させていきます。

これをもっとも小さくすると分子レベルでそれを行い、もっとも大きくすると無限の宇宙のレベルでそれを行います。こうなってくると仏陀の世界観になります。そう考えてみると科学は仏陀が感得していた境地をある程度修行もせずに誰でもそれが利用できる状況にしていこうとする試みに似ています。

しかしそれでもどうしても境地には到達できません。真理をなぞることができたとしても、真理そのものにはなりません。真理に近づいていく過程で真理に学ぶことはできます。真理を遊ぶ人は、道理を遊ぶ人でもあります。自然や宇宙を観察するのが好きな人は、そのうち遊んでいるうちに偶然にあらゆるものを発見したのかもしれません。

場の道場では、これからさらに場を磨き上げていきます。場を科学するアプローチは、まだまだたくさん発想できます。ワクワクしながら五次元を試行錯誤し、子どもたちと共に場を科学して遊びこんでいきたいと思います。