徳と道と調和

徳には陰徳と陽徳があるといわれます。本来の徳は、実際には一つですがこの世が二つが一つであるように同じく二つが一つになっているものです。これは自己という存在も同じです。自己もまた二つで一つです。シンプルにいえば、目に見えるところと目に見えないところともいえると思います。

徳も同様に目に見える徳と目に見えない徳があります。例えば、目に見える徳は人に感謝されたり評価されたりするところです。そして目に見えない徳は、誰にも評価されたり感謝されていませんがそれがいつまでも場に余韻として遺るものです。そしてその場を磨いて徳を見出しその徳を活かし顕現するとき真の徳を実践していくことができます。つまり調和する徳というのは、自然に存在している真の道を歩むときにこそ陰陽もまた結ばれていくということです。

この結ばれるというのは、二つが一つになることをいいます。夫婦和合してそして子どもが誕生するように、共に一つのものを産み出します。これは太古から続いている道でもありますが、それを磨くことで子孫もまた発展して人類も深化していきます。

調和というのは、頭でなかなか理解できるものではありません。様々なものが混然一体になっているもんをなんと名付けるのか。それはそのまま混然一体というしかありません。複雑なものを私たちは一つに名付けます。人間というものも同じく、複雑ですが人間と名付けたらみんな人間です。そして神様というものもまた、複雑で混然一体になった存在ですが神様と括ります。

しかしよく見つめていると、調和したところに私たちは何か一つになったものを直感します。その時、私たちは調和の持つ真の深さ、真の温かさ、真の豊かさを感じることができるのです。

そこに真の徳もまたあるのです。

真の徳は、なかなかすぐにはわかりません。本人にしか調和が分からないのです。それは実践している中で味わうものであり、それを共に道を歩んでいく中で深め味わうものでもあります。

徳の道を歩んでいくのは、調和の道に導いていくことでもあります。人が徳に気づいて、それぞれの徳を磨いていこうとするところに真の実践もまたあります。真真と言っていますが、この真という字もまた調和を指す言葉です。

時代の背景もあり焦りや葛藤もありますが、あらゆるものを受容して徳と道の調和を目指していきたいと思います。