価値観を磨く

価値観という言葉があります。辞書を引くと、「人が自分を含めた世界や、その中の万物に対してもつ評価の根本的態度、見方。」そして「物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断。」などがあります。

それぞれに人は価値観が異なるのは、その人の生まれて育ってきた環境もあれば、ご縁により影響を受けたもの、または文化など与えてきたものでも変わります。例えば、アマゾンの奥地で言葉がほとんどないような場所にいる価値観と、現代社会で都市部に住んでいる人では常識はほとんど異なります。

私たちは知らず知らずのうちに常識に吞まれていますから、価値観の影響を空気のように受け続けているともいえます。特に風土の影響は大きく、また周囲の人たちの存在も受けています。その土地の当たり前はその土地の常識ですが、少しでも離れたらそれは非常識というものもあります。他にも、今の子どもたち世代では常識であることが高齢者の世代では非常識になることがあります。結局、時代も変わり、環境も変わり、すると価値観も変わっていきますからお互いの常識のぶつかり合いで古いものと新しいものがいつまでも融合することができません。

価値観が変わるというのは、変化そのものです。ある一定の価値観を守っていこうとすれば、変化は悪いことになります。しかしお互いに価値観を守ることに強く固執し柔軟性を欠いてしまえば結局、その価値観は時代に否定され消失してしまいます。

本当は価値観を尊重し合い、折り合いをつけ、間を探すことでお互いの価値観をもう一段、ブラッシュアップすることもできます。そこには横糸と縦糸が結び合うように、大切なことがお互いに結び合えて真の意味で新たな価値観が誕生するからです。

これが価値観を磨くということだと私は思います。

私も周囲に何をやっているのかよくわからないや、変人や正体不明で何をしようとしているのかとよく聞かれます。しかし、いつも初心は明確でそのことだけに集中しています。

分かりにくいのは、もちろん言葉に説明できない言葉と言葉の中間にあることを実践していることもありますが今の世の中の常識の価値観とは少し異なる考え方を持っているからかもしれません。

子どもたちの未来から逆算して、今、こうすることが相応しいのではないかと思うと今の時代の常識からみたら不都合なことばかりです。未来と今で対立するのではなく、どうよりよい今を誕生させていくかをみんなで納得したうえで共に創造し、相乗効果を産み出していくかは私たちの大きな課題です。

引き続き、あらゆる声を聴きながら徳を磨き続けていきたいと思います。