宇宙創始の妙味

私たちの今のいのちは、ずっと以前からつながっています。このずっと以前からはいつからなのか、それは宇宙創始からということになります。こうなると、人間は考えれないからと思考を停止してしまいます。しかし、そもそもが繋がっているという感覚を辿れば誰でも宇宙創始までに気づきます。繋がっているのではなく、分けているから気づかないのがこの繋がっているという感覚なのです。

私たちの身体は粒子でできています、意識は波動だといわれます。波動は物の影響はなく、広く心を通じてまるでラジオのチューニングを合わせるかのように波長を合わせればつながっています。そして粒子は、形を変えていますが宇宙の一部として繋がっています。

この世はすべて繋がっていないものなどは一切なく、時空ですらも分かれていません。例えば、過去と思っているものは過去ではなく繋がっている今になります。そして他人と自分とも思っているものも実はご縁によってずっと結ばれています。出会いはすべて必然であり、偶然のように思えるのはつながっていないと思っているからです。

循環というものも同じです。水がすべてを通して廻っていくように、私たちは水と繋がり続けて容を変化していきます。水という性質は変化しても中心は変化していません。これは粒子というものの存在を明確にさせるものです。

そして繋がっているからこそ、みんなで分け合いながら助け合います。この助け合いや分け合うというのは、繋がり続けることの証明でありつながりそのものの中で存在している仕合せを味わうものです。

繋がりを切る仕組みというのは、人間が自分が宇宙創始と切り離す仕組みです。切り離すことで別の存在のように人間を意識するようになりました。実際は何も変わらない宇宙の一部であるのにも関わらず、人間だけが別の物になるのです。

つながりというものは切れませんが、切ったことにするという仕組みを用いたのです。これが人間が宇宙を創始したと勘違いすることを産み出し、知識や科学を生産しました。

今の時代、霊性への目覚めなどいろいろと語られますが本来の原点、仕合せとは何かということをみんなで分かち合い分け合う時代になっているということでしょう。これは今までの反省であり、新たな改善でもあります。

今までこうなったのだからこれもつながりの中の一つです。このつながりから何を学んでいるのか、そこにまた宇宙創始の妙味もあります。つながりの中の自分を大切にしながら、さらにもう一歩、実践を深めてみたいとおもいます。