古代の知恵

最近、古代のことに触れるたびに様々なつながりが増えてきています。世界には似たような神話や歴史があります。不思議なことですが、そのどれもが類似性がありその知恵も同じです。

もちろん風土や環境によって少し変わっているところもありますが、どれも似ています。これは何が考えられるのかと少し掘り下げてみるとはじまりは一つであったということの証であろうと思うのです。

そもそも始まりがあるから今があります。今は始まりの連続の中にあり、この今に思いを馳せれば太古の時代から連綿と生き続けてきた歴史があります。この歴史は、目に見えるものと見えないものがあります。最近はDNAを調べられるようになり、起源がどうだったかが辿れるようになってきましたが遡れば同じ遺伝子を持つことがわかります。

いのちが多様化していくのは、その風土と一体になっていくからです。私たちの意識も体もあらゆるものは、形を変え続けて何度も甦っていきます。同じようにみえて少しだけ変化していく。それは意識が交わり、遺伝子も、生命もすべては渾然一体に重なっていくからです。

まるで網で編まれたような羅網の世界です。

そこは誰が統治するのではなく、統合させようとしなくても自然に渾然一体に調和していきます。この調和というものこそ、知恵の結晶です。

今に生き切るという言葉があります。

この今というものの今は、一体なんのことをいうのか。今とは、縦軸と横軸、すべてがととのっている状態のことをいうように思います。それはすべてに主体性が発揮され、自立していて協力し合っているいのちのハタラキの姿です。

古代というものは、そのいのちのハタラキを存分に発揮していたことは直観的に感じ取れます。多様化してきて、原点が観えなくなってきたからこそ今こそルーツを辿る必要があります。

明日は英彦山で仙人苦楽部がありますが、これは子どもたちのために知恵を遺し、共に学び気づき合い、それを暮らしのなかで活かしていこうとする取り組みの一つです。

今回は音を使った波動の体験になりますが、かつての古代の人々が音をどのように感じ取っていたのか、実体験を通して今につながる知恵を甦生させていきたいと思います。