古代、まだ文字が使われていない時代は音が文字でした。例えば、「あ」や「さ」、「ひ」、「み」などそれが意味しているものを自然物を感じで語っていたように思います。いろはにほへとや、アワ歌、一文字の言葉の組み合わせで言葉はできています。

感じも一文字だとそのものの素の本質を顕しています。これが二文字になってしまうと、無限の組み合わせがでてきます。つまりはもともと二つだったものを一つにしたところからまた二つができるという矛盾を含んでいるともいえます。

例えば、日本語でも「ひ」というものがあります。これは意味としての命や火、光などの元になっています。それを組み合わせた存在としてひめやひこ、ひと、などと出てきます。こうやって組み合わせによって認識することで、細分化していったのが言葉の歴史のように思います。その組み合わせたものからもう一度、最初の「ひ」に戻そうとしてもその「ひ」には多くの意味がそのまま紐づきます。もとの最初の「ひ」にはなりません。私たちの認識というものは、複雑になっていく一方で元の状態には戻らないようになっています。

それが「死」という体験によってもう一度、元の「ひ」に回帰します。そう考えると、生と死もまた二つが一つになっているものです。現代でいちいちこんなことを考えていると、言葉も会話もややこしくなりますから普段はそんなことは考えずに普通に文字も音も言葉も道具として使います。

しかし何か元々あった自然物と触れたり、例えば山などには「さ」がありその「さ」を感じるとき私たちは言葉や文字ではない何かの存在を感じています。桜などは満開の花の下に立てば自ずから「さ」を感じるものです。

もともと民俗学では、「さ」は山の神とされました。それが里に降りてきて田の神や稲に変化すると信じられていました。「さ」の神が降りる「坐=鞍」(くら)の意から「さ・くら」となります。稲の苗をさなえといい、苗を植える女性がさおとめとするのも「さ」が由来です。旧暦五月の頃は稲作をする月だからこそ「さつき」と呼びました。

この「さ」というものは、何かと探せば現代ではいろいろな「さ」が出てきます。本当の「さ」はどこにあるのかは見つけようもありません。しかし「さ」は生死に深く関係している言葉なのは共通するものから感じとれるものです。

言葉や音の持つ響きを感じながら、英彦山の守静坊のしだれ桜の「さ」を楽しみに見守りたいと思います。