真心と至誠

節分から立春の間には、私たちは福茶というものを振舞います。これは無病息災を祈り、節分の豆を炒ったものと梅干と昆布を結んでつくったお茶です。梅干しは、英彦山の守静坊のものを使います。梅干は「しわが寄るまで元気に暮らせるように」と長寿と健康を願い、結び昆布は、「睦(むつ)みよろこぶ」といっていつまでも一家和合することを願います。

このお茶の由来は、もともと平安時代の空也上人だといわれます。「六波羅蜜寺が発行する大福茶の由来書には、空也上人が本尊前にお供えしたお茶を村上天皇が病気の際に飲んだら平癒したことや、京都で疫病が流行した時に病人に飲ませたら悉く(ことごとく)治ったことが書かれているらしい。空也上人がお茶の効能で伝染病を鎮めた伝承が基になっているのだが、当時はお茶は嗜好品ではなく主に薬用として飲まれていた。流通量が少なく上流階級しか飲むことができない貴重なお茶を、空也は疫病が流行した際に庶民にも振る舞ったという。大袈裟かもしれないが、空也は民衆にお茶の文化を広めたといっても過言ではないのかもしれない。当時は竹を割った茶筅のようなもので点てたお茶に、梅干しと茗荷(みょうが)を入れて配ったという。」(古寺巡礼 京都5 六波羅蜜寺より)とあります。

この当時、お茶というのは一般庶民では飲むことはできませんでした。冬至の天皇や公家などの階級の人たちが薬として服用していました。それを京都で疫病が流行したとき、観音様に祈りそのお茶の薬を飲ませることで疫病が治まったのです。

この空也上人という人は、空也(くうや )と呼び、平安時代の阿弥陀聖(あみだひじり) 、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも称されます。この聖としての生き方が、その後の僧侶たちに多大な影響を与えた方です。私もとてもこの空也上人の遊行に憧れ尊敬しています。

空也上人の一首にこういうものがあります。

「極楽は遥けきほどと聞きしかど努めていたるところなりけり」(空也上人)

意訳ですが極楽とは遥かに遠いところにあるものだと聴いていたものの、真摯に仏道修行に努め励めば到達することができると。別の言い方では、真心や至誠を盡せば極楽に入るということかもしれません。

1000年以上経った今でも偉業が多くの人たちの祈りやいのちを支えています。真心や至誠は時を超えるものです。

私も先人に倣い、憧れた生き方を実践していきたいと思います。