人生の荷

人生を生きていると、ひょんなことから託されたり頼まれたりすることがあります。何も利益にもならないというか、むしろ一般的には損と思えるようなことばかりを引き受けてきました。そのうちその積み重ねてきた損がそのままに徳というようになり気が付くと本格的に徳積活動とするようになったのも不思議なご縁です。

人は誰でも大小問わずあらゆる頼まれごとや託されごとがあったりします。誰から頼まれるのか、どういう場面で託されるのか、そのご縁はまさに一期一会です。思い返してみると、どの頼まれごとも託されごとも大変なものばかりだったように思います。

自分には荷が重いと思っても、困っていたら放っておけなかったり、これは子どもたちのために今引き受けなければと使命感から手を挙げてもいざ目のまえに来ると重責に眩暈がすることもあり、しかも数年でわかることではなく数百年後のことなどを託されると真摯にこれでいいですかと自問自答しながら神様に祈ることばかりの日々です。

元来、真面目な性格で一見ユニークなことをしていますがどれも真剣にやっているものです。真剣にやっているからこそ、諦めの境地というか手放し運転でないと今に集中できません。今に集中するのは、あまりにもその託されたものや頼まれたことが壮大で不可能と思えそうなのでいちいち考えないように実践していくためでもあります。

もちろんメリハリがないと全体最適にならず、喜びもゆとりもなくなると本質が観えなくなるので出会いの奇跡や組み合わせの不思議を味わい歩みます。多くの御蔭様や助けに恵まれ、ああこうなったのかと先人たちの真心や思いやりに感謝する日々です。

一人の人生で託されたものや頼まれたものはあまりにも偉大で無限、宇宙のような意識がなければ自覚することもありません。しかしご縁を深く味わっていると、そうやって皆さんが託され頼まれてきたことの意味や真価を直観し、自分もまたそういうご縁をいただいていることへの有難い奇跡を味わいます。

目に見えるものと目に観えないものがあるなかで、その人が何を誰に託され頼まれたのかを知ることは自分の道や光を知ることでもあります。

光を浴びて道を歩み、陰を感じてまた道を帰る。

一つの荷を運びながら、歩みを深く味わっていきたいと思います。