自他全体の四季

ベランダガーデニングをしていると、様々な花の姿に驚くことばかりです。

冬から春にかけ、春から夏にかけ植物たちは様々なめぐりを行います。そのめぐりには、花を咲かせるもの、枯れるもの、種になるものとめぐりは自分の生きる季節に合わせます。

そう考えてみたら、それぞれの生きものには、それぞれに持って生まれた自分の季節がありその季節と自然の季節に寄り添いながら自らの生を全うしているともいえます。

これは大なり小なりすべてが等しく、例えば同じ人間であってもその人固有の季節があるといったようにその人の成長や人生に四季があるのです。春だからといって、春爛漫に咲き誇るような花もあれば、冬にこそ冬爛漫に咲き誇る花もまたあるからです。

自分の季節を感じることは、自分も自然にあわせて自分らしく変化していくことに迷わないようになることかもしれません。人生の四季があることが、私たちを安心させるとしたらその四季を味わっていきていくことで自分が全うしたいと思えるものに出逢い感得するものかもしれません。

毎年、毎年、一年をふり返ってみると自分にとってどのような季節なのかを実感できます。そして周囲を観ていると、自分とは異なる季節の人達が共に道を歩んでいく姿もまた拝見していくことができます。

季節の恵みに私たちは見守られ、成長をしていくのでしょう。

その人の生涯も、死んでから活きるものもあることを想えば決して寿命だけが四季ではなくその存在に四季があるということに不思議な安堵を憶えます。

存在の四季を実感しながら、自他全体の四季を味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    その人固有の季節と考えた時、自分自身の季節は巡っているのだろうかと考えるところがあります。街中に住んでいると季節感覚分からなくなりますが、誰かのために尽くせたり、お役にたてているとき、変化に迷いがないように思いますが、迷ったり、不安を感じていると人との関係性も分からなくなっているところがあります。季節の変化を身の回りで感じることと共に、貢献させて頂く中で自分自身の移ろいも感じられるよう実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    人それぞれに季節がある事を思うと、自分ばかりを見るよりも周りを見た方が季節を楽しめるのだなぁと気付きました。それぞれの季節がそれぞれの季節を支え合う、混植、意識して行きたいと思います。

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