生まれ変わる

意識というのは何回も生まれ変わるように思います。私たちが身体は、新陳代謝を通して細胞もその都度生まれ変わっています。死というものは、この細胞の生まれ変わりが次第に失われて消えていくことは科学的には証明されています。

不思議なことですが、細胞の合体によって私たちはいのちを繋ぎます。そして繋いで新たな生命が誕生しますが、同時に増え続けるものを今度は消滅させていく必要があります。バランスというものですが、それを保つために合体しては消えるという循環を自然は持っています。これはいつからそうなったのか、宇宙の一つの真理や原則なのでしょうがその御蔭で全体を結ばれ環境に適応していくことができます。

私たちのいる宇宙は、有為転変であり諸行無常です。合体するからこそ変化するのです。変化の正体は合体なのです。合体していくことを続けなければ存在することができない仕組みになっているのです。創造と破壊こそ、生きるということです。そのために、変化するのです。

ただこの変化や合体には、意識というものがついてきます。どういう意識でプロセスを経たかというのが、次の合体に結ばれていくからです。毎回、創造と破壊を繰り返してもゼロにリセットされているわけではありません。同じことは二度となく、形成する段階で毎回何かが変わります。それは傷のようなもので、時を刻むようなものです。そしてそれを癒し、それを忘れるという作業があります。

その行為を繰り返すことで、私たちは生きている実感というものを得られます。生きている感覚、いわばこの感覚を味わうことで役目を理解して役割に仕合せを感じるのです。

細胞もまた同様に、日々に生まれ変わることによって仕合せを感じます。健康というものの本質もまた然りでしょう。そして同様に意識も変わります。意識は特に時間や歴史によって変化していきます。変化の中にいることを忘れなければ細胞は調っていきます。意識が調っていれば、人類はバランスを崩すことはありません。健康であるためには、自然や宇宙の変化にあわせて自分たちも意識を変え続けていくことだろうと私は思います。

自分の中にある宇宙、つまり意識を調えることが大きな目で観ると人類にも地球にもすべてにも大切なことはわかります。丁寧に自分自身を調えて暮らしを実践し、新陳代謝と生まれ変わりを味わっていきたいと思います。

立春と素直な心

春のはじまりを告げる、そして冬のおわりを告げる節目です。立春の「立」には季節の始まりという意味があり、「春の気立つをもって也」ともいわれます。春の気配がはじまったということでしょう。

そうやって周囲を見渡すと、池のほとりの様子や植物や木々の蕾や新芽、また動物たちの行動や鳴き声などが変化が著しくはじまっています。

この時期は大寒といって一年で最も寒い季節ですが、この時期の空気や水が澄み渡っていることからこの時期に発酵食品などをむかしから仕込んできたともいいます。太陽を観察しながら日々を過ごしていると、この季節の太陽の光の清々しさは言葉にはならないほどです。

特に雲一つない薄碧い空の光や、夕陽の河に反射して眩い光、また夜空に照らす月の透明さ、どれもがこの寒い季節だからこその澄み渡った気配があります。寒さは厳しいですが、その分、いのちは研ぎ澄まされて感覚も鋭敏になっていきます。

感覚が鋭敏だからこそ、この時に仕込みたいものがたくさんあります。これからの夢や希望、そして昨年からの改善、あるいは覚悟を確認して決心することなどとても心地よいスタートがきれます。

昨日は鏡開きもして、道が開いていくことの目出度さ、豊かさや感謝などを味わいました。五穀豊穣というものがある御蔭で私たちは暮らしを味わうことができます。恵みに感謝することや、いつも助けてくださっている御蔭様を祈ることは仕合せを確認することにとても意味があります。

立春といえば、西行にこういう歌が残っています。

「年くれぬ 春来べしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」

私も残りの寿命を思いながら昨日は眠りました。朝起きてみると、すでに夢が叶っていることを思い感謝が沁みました。春とはまさに今ここに味わう素直な心。いつまでも素直な心のままに原点回帰して日々を大切に過ごしていきたいと思います。

恵みに感謝

全国各地に商売繁盛の神として知られる七福神の一人に、「えびす」さまがいます。ちょうど十日えびすのお祭りがあっているので少し深めてみます。

この「えびす」さまは、ウィキペディアの分類によれば「日本の神。七福神の一柱。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的。また、初春の祝福芸として、えびす人形を舞わせてみせた大道芸やその芸人のことも「恵比須(恵比須回し)」と呼んだ。外来の神や渡来の神。客神や門客神や蕃神といわれる神の一柱。神格化された漁業の神としてのクジラのこと。古くは勇魚(いさな)ともいい、クジラを含む大きな魚全般をさした。寄り神。海からたどり着いたクジラを含む、漂着物を信仰したもの。寄り神信仰や漂着神ともいう。」とあります。

「えびす」さまの名前はとても有名ですが、以上のように外来の神様や渡来の神様、海からの漂流物など、はっきりとしないあらゆるものが混ざり合った姿として存在があります。また一説によれば古代の鴨族が田の神様として祀っていたとか、海人族安曇氏の氏神様であったとか、謂れがあります。この古代の安曇族は本拠地は北九州の志賀島一帯で遠く中国まで交易をし、海部(あまべ)を支配して勢力を誇った有力な豪族だったといいます。水軍を持ち、あちこちに移住しその勢力を拡大した一族です。

もともと日本という国は島国で海路と海の恵みによって豊かな暮らしを育んできました。内陸も今よりも内海や河川が自然のままで、船によって内陸との交易を発達させてきました。

海がある御蔭で私たちは世界とつながります。今では空もありますが、古来は海が中心でしたから多様な文化を受け容れる神様の御蔭で人類は交流を持ったように思います。

そしてこの「えびす」さまは、その象徴だったように思います。

今では商売繁盛のご利益が有名で、よく大黒天と一緒にむかしはお祀りされていたといいます。私の古民家でも常に厨房やおくどさんにはえびすさまと大黒様を一緒にお祀りします。これは豊かさの象徴に感謝するためでもあり、その見守りの中で暮らしが成り立っていることを忘れないようにするためでもあります。

海の恵み、田の恵み、自然の恵みによって私たちは生きていくことができます。いくらお金があっても、これらの自然の恵みがなければ私たちは生きていくことができません。

今、ちょうど十日えびすで私のいるBAでも恵比寿様をお祀りしていますが改めて恵みに感謝する日にしたいと思います。

 

親友の仕合せ

幼馴染がはじめて家族と一緒に聴福庵に来てくれました。小学校5年生の時からの友人で色々なことを星を観ながら毎晩のように語り合った仲です。転校してきたのですが最初からとても気が合い、お互いにタイプも異なることもありとても尊敬していました。

音楽が好きでアコースティックギターを弾き、また工作が好きで半田鏝を使い近くのパチンコ屋さんの廃材で色々なものをつくっていました。他にもパソコンが得意でプログラムなどもかいていました。私はどちらかというと野生児のように自然派でしたからとても理知的で新鮮でした。

中学では同じ部活に入り、レギュラーを競いバンドを組んでは一緒にライブなどを行っていました。塾も一緒で成績でも競い、その御蔭で勉強もできるようになりました。思い返せば、尊敬しあい好敵手という関係だったように思います。

高校卒業後は、私は中国に留学し彼は岡山の大学に行きました。そして社会人になって一緒に起業をして今の会社を立ち上げる頃にまた合流しました。毎日、寝る時間を惜しみ休みもなく働き努力して会社を軌道に乗せました。私の右腕であり、苦楽を共にするパートナーでした。しかし、その後、お互いに頑張りすぎたり結婚をはじめ色々な新しいご縁が出てきてメンタルの不調や社員間の人間関係の問題、過去のトラウマや祖父母の死別など様々な理由が見事に重なり別れることになりました。

そこからは孤独に新たな道をそれぞれに歩むことになりました。もっとも辛い時に、お互いにそれぞれで乗り越えなければならないという苦しみは忘れることはありません。あれから20年ぶりにお互いの親友の通夜で再会してまた語り合うことができています。

離れてみて再会してわかることは、その空白の20年のことを何も知らないということです。当たり前のことを言っているように思いますが、その間にお互いに何があったのか、伝えようにも関係者や周囲がお互いの知らない人ばかりになっていてどこか他所の他人の話になります。私たちの知り合いは20年前に止まったままでその頃の人たちももうほとんど今ではあまり連絡を取っていません。

人のご縁というのは、一緒にいることで折り重なり記憶を共にするものです。同じ空間を持つ関係というのは、同じ記憶を綴り続けている関係ということです。喜怒哀楽、苦楽を共にするときお互いのことが理解しあい存在が深まるからです。

今では、親友は新しい家族を築き子どもたちも健やかで素敵な奥さんとも結ばれて仕合せそうでした。20年たって、一番嬉しかったのは彼が今、仕合せであることでした。

そう思うと、最も自分が望んでいるものが何かということに気づかされました。私が一番望むのは、私に出会った人たちがその後に仕合せになっていくことです。だからこそ、真心を籠めて一期一会に自分を尽力していきたいと思うのです。

いつまでも一緒にいる関係とは、仕合せを与えあう関係でありたいと思うことかもしれません。親友との再会は、心が安心し嬉しさで満たされました。苦労の末に掴んだ彼の仕合せに感謝と誇りに思いました。

善い一年のはじまりになりました、ご縁に心から感謝しています。

心の純度

人間には心があります。しかしその心がどうなっているのかを観察していると、心には純度というものがあることに気づきます。極端にいうと真心のままであるのか、心のように見えて実際には心無いことをしているのかというようにその人物が素直であるかとうかで心の純度は異なっているのです。

別の言い方に、純粋というものがあります。これもまた純度を表現する言葉で混じりけがないことや穢れのなさ、私利私欲や私心が入っていないなどともいいます。そもそも初心という言葉もあるように、人は最初は誰もが純粋な心のままです。赤ちゃんなども純粋です。

それが生きているうちに次第に計算高くなりあれこれと考えるようになります。考えているうちに打算や損得勘定や保身などあらゆるものが混じりこんできて次第に心が曇ってきます。心が曇っていることすらわからなくなってくると、あれこれと誰かの何かをする理由をいちいち考えては評価したり裏を読んだりと悧巧になってくるものです。

そうなると自然とは程遠い姿になり、不自然になっていきます。ある意味、文明というものはそういうものかもしれません。文明人になるというのは、心を誤魔化し利巧に生きていく術を手に入れた人ともいえます。

しかしそこから心の病というものが増えていきます。本心を誤魔化し、純度が失われていくと不自然が重なり病気になるのです。病気でも怖いものは、病気そのものであることがわからなくなることです。みんなが病気ならそれが健康だと思い違いするようなものです。

だからこそ最初の心をいつまでも失わないようにしていくことが大切になります。それが心の純度を保つことです。心はいつも目的に忠実です。何のために生きるのか、どう生きたいのかを常に忘れることはありません。忘れるのは、心ではない自分を生きているからです。

心は常に一心同体で離れずに自分と共にあります。純度が濁れば隠れてしまい、純度が磨かれていけばいつも表に出ています。真心の人たちはみんな心から行動し、そのあとに知識や知恵を活かします。それが文化人というものであり、伝承され続けてきた自然循環の叡智だと思います。

子々孫々のために、何を渡していけるのか。これは今の世代を生きる人たちに託された一世一代の大事業です。大事業こそ心の純度が求められます。

真摯に初心を忘れずに、歩みを強めていきたいと思います。

2024のテーマ

明けましておめでとうございます。これを新年のご挨拶でしますがこの意味は、神道では冬至に太陽が天の岩戸にお籠もりになって、新年に岩戸をあけてお出ましになることから来ている言葉です。

昨年は、暮らしフルネスの冬至祭で日の入りを仲間や友人たちと一緒に拝みました。太陽がお隠れになる時間帯にみんなで祈り感謝で拝みました。そして翌日に、また新たに太陽と共にある一年一生がはじまります。この年のはじまりに、みんなで一年のテーマや目標を語り合いおめでとうございますを言い合って予祝をしました。

とても思い出深い時間だったのを思い出します。

現代の私たちはカレンダーやスケジュールで物事を動かしていきます。人間の都合で、より都合が強い方がスケジュールも掌握します。権力者や権威者が優先されるのがスケジュールです。しかし、私たちの先祖はずっとむかしから太陽や月、星々や地球など宇宙を軸に循環に合わせて暮らしをしてきました。朝夕に太陽を拝み、夜は月や星々を拝む、そして地球の脈動と共に休みます。

暮らしというのは、人間だけではなくそれを含むもっと偉大な存在と一緒に在るようにいのちを運んでいきました。

私たちにとっての「新しい」という言葉は、甦生のことです。私は、甦生家を名乗り様々なものを甦生させていますが本来はこれは新しくするという意味です。古いものを磨いて新しくする。それが私の使命の一つです。

古いものというのはこの世にはなくなりません。どんなものも時が過ぎるのだから古くなります。それは自分にも言えるものです。この古いものを新しくするというのは、挑戦することであり捨てることであり、決断することです。そのためには、対話をしていく必要があります。これはいのちの対話です。

昨年のテーマは「いのちを磨く」でした。色々と削り落としていく一年だったと思います。本年は、「いのちとの対話」の一年にしていきたいと思います。これは、今まで以上に無理をせず静けさを守りたいという意志からです。

英彦山の守静坊を甦生してから、宿坊で静けさとは何かということを学び直しています。静けさは、呼吸であり対話です。

引き続き、1000年後の未来の子孫たちに本来の仕合せが伝承できるように心を鏡のように澄ませた日々の精進を愉快痛快に楽しでいきたいと思います。

 

循環の宇宙で

今年を振り返ってみると幼馴染の親友との死別が一番の出来事でした。今でも時間差で思い出しては心にふと空白が宿りますが彼の存在の有難さに感謝することが増えました。私たちは本来、「存在」によって心を支えているものです。大事なものは、何か自分にとっての用が足せたり能力が便利だからというもので感じているのではありません。自分が何かをするときに助けてもらえる、或いはわかってくれているという心の繋がりや関係によって深いところの自分を支えられているものです。

その本体は一体何なのか、これは愛ともいい慈悲ともいいます。私たちはご縁によって出会い喜びがあり、別れによって悲しみが来ます。他にも出会いによって感動があり、別れによって激動もあります。どちらにせよ、私たちはその苦楽の苦という感情と結ばれそのことによって悲喜こもごもな執着や感情が入り混じります。

しかしこの入り混じる感情が人生の旅路のなかではとても大切な記憶になり、私たちに人間らしさや生きている実感を与えます。過ぎ去っていく日々の中で、記憶だけは蓄積していきその記憶と共に自分という存在がまた新しくなります。それが生きているということで循環しているということです。

私たちはこの記憶というものの真実を知り、記憶こそが自分を生きていることに気づくものです。その記憶は永遠にもなり、また同時に新しくもなります。だからこそ、私たちは変化に対して止まっていることはできず前に進むしかありません。

変化とはある人は、捨てていくことといい、またある人は、執着しないこと、またある人は受けたもうとすること、それぞれに言い方があります。しかしそのどれもはすべて、「歩みを止めるな」というメッセージを帯びているのはわかります。だからこそその感情を敢えて手放すというのは、常に変化を已めるなということを意味するからでしょう。

止まることのない循環の宇宙のなかでいつまでも私たちは巡り会いまた結ばれます。

それが生命の神秘であり、記憶の真実です。

この一年は、私にとっては「忍耐」の年でした。忍耐とは、これでいいと信じぬくための努力であり、それでいいと思えるように取り組み続ける己磨きの精進でした。年末は骨折をして思うように生活ができなくなり、体の不調が次々と湧き出てきました。ここ数年の頑張りすぎたことが疲れとして出てきたのかもしれません。蓄積した疲労が回復するまで安静にせよとの天の声も入っているように思います。

直観を信じてここまで来ましたが、天命はいつも自分の都合とは別のタイミングで降りてきます。龍の水を得るかの如くになるには、まだまだ時間がかかりそうです。臥龍のままに澄んだ水に光を浴びて呑気に気楽に極楽のような場を醸成して、忘れた頃にやってくるような安心立命を歩みたいものです。

孔子、五十にして天命を知るとありますが先達を見倣い、人間らしく愉快痛快に歩んでいきたいと思います。本年も、本当にお世話になりました。来年が皆様にとって一期一会の青春多き美しい一年になることを祈念しています。

ありがとうございました。

蕎麦はいのちのパートナー

以前から蕎麦職人のような恰好をしていることが多かったので、地元では蕎麦屋さんをしているのかと尋ねられることが多くありました。蕎麦屋ではないのと、そば打ちもしないと周囲には話をしていたのですが遂に満を持して蕎麦打ちをはじめることになりました。

この蕎麦打ちをはじめるきっかけは私が尊敬する水眠亭の山崎史朗さんのところに宿泊した時に振舞ってくださった味が忘れならなかったからです。真心を籠めて丁寧に相手を思い打ってくださった蕎麦の味は心に余韻が残ります。お茶の世界に通じていますが、この蕎麦打ちもまた真心を使うのにとても素晴らしい調理であると気づいたことからはじめることになりました。

また私は炭の料理をつくるのですが、火や水を使うことで素材が活き活きするのを実感するのが大好きですからこの蕎麦はまさにこれらを堪能するのにはもってこいです。先日のお餅つきもですが、素材を活かすむかしの道具たちは私にとっては宝のようなものです。先人たちの知恵や創意工夫には本当に頭が下がる思いがします。

蕎麦と人類との歴史は9000年前に遡るともいわれます。日本史の中で本格的に出てくるのが奈良時代で和歌にも詠まれています。

もともとこの蕎麦は、種まきから収穫までの期間が短く一年に3回ほど収穫できます。また瘦せ地でよく育ち、収穫も用意です。以前、私も蕎麦を育てたことがあるのですが畑よりも周辺の土手や野草が生えているようなところの方がよく育ちました。白い花や実がなった時はとてもうれしかったのですが、収穫が大変なのとそれをそば粉にするのは本当に大変で手作業でやると脱穀から臼ですりつぶしまでも相当な時間を要します。作業の割にはほんの少ししか食べられず、むかしの人たちの当たり前の生活に尊敬の念が湧きました。

この蕎麦を食べるのは、今のような時代の食べ方ではなくまさに飢饉や飢餓の時の非常食としてでした。富裕層や貴族は食べず、農民たちが蕎麦をこねて蕎麦がきのようにして食べていたといわれます。

蕎麦が麺になったのは、江戸時代で蕎麦切りといい蕎麦を切って蒸して食べていました。私も以前、山口県の萩市で同じ製法で取り組む蕎麦を食べたことがあるのですがとても食べやすく普段よりも多く食べることができました。そこから茹でる蕎麦になり現代にいたります。今では蕎麦に様々な具材をのせて楽しんでいますが、やっぱり蕎麦本来の味を玩味するのはざる蕎麦や先ほどの蒸蕎麦に塩をのせて食べるのがいいように私は思います。

蕎麦は長い歴史の中で、苦しい時を共にしてきた大切ないのちのパートナーです。これから英彦山の宿坊の精進調理の一つとして、この蕎麦打ちがはじまるのも楽しみです。柚子胡椒や薬草、発酵関係もあるのでお山の暮らしを楽しめるように色々と復古起新していきたいと思います。

本来の事業

昨日は、故郷の庄内中学校の生徒たちの有志が集まり鳥羽池のお手入れを行いました。具体的にはゴミ拾いや廃棄物の回収ですが一年でまたここまで溜まるのかというほどのゴミが溢れていました。生徒たちは明るくなんでこんなものを捨てるのだろうかと口々に話しながら清々しく片付けてくれて本当に有難い気持ちになりました。

ゴミの中には、かなりの大きさのものも多くよくこんなものをと思うほどの粗大ゴミもありました。私はもともと古民家甦生をはじめ、お山の周辺のお手入れもやっていますからゴミは慣れています。それにゴミをよく見つめることも多く、それが綺麗に片付いている景色も見慣れていますからそこまでの抵抗はありません。しかし子どもたちが誰かが捨てたゴミを真摯に片づけているのを見るとありがたい気持ちが先に出ますが同時にいたたまれない恥ずかしい気持ちも出てきます。

大人たちがやってきたことがゴミとして発生します。池をはじめ自然は黙ってすべてを受け容れてくれていますがそこには魚や鳥たちをはじめ様々な生態系が存在しています。なぜこんなものを生み出してしまうのか、そしてなぜゴミになってしまうのか、そこに今の人類が追い求めている価値を感じます。

2時間ほどみんなでお手入れしたあと、集まって少しお話をしました。

一つは、捨てた人がただ悪いではなくこのゴミを観てこれをつくったものづくりに関わる人たちは何を思うだろうかという話をしました。二つ目は、ゴミ拾いのメリットとして自分を磨くことの大切さ、観える世界が変わることで自分が変わることを話しました。三つ目は、故郷と繋がり結ばれる感覚、池が喜んでいることや故郷が善くなっていくことなども話しました。また桜の時期になると美しい景色があること、改めてみんなで取り組めたことに感謝しました。

今回のお手入れを一人でやったら3か月近くかかります。それを大勢いで取り組むから一日で終わります。自分たちの故郷の大切な場所を、みんなで守っていこうとする心に故郷の徳がますます醸成されていくのです。

子どもたちが取り組むことは小さな一歩ではありますが、大きな未来がある一歩です。

本来の事業というものはどういうものか、それは単に利益や売り上げが上がることや経済活動が拡大することや雇用が促進され税金が集まることなどではありません。むかしの日本の先人たちが行った事業とは、「子孫のために何を遺せるか」というものが本来の事業であったのです。今では名事業家と呼ばれる人たちは、効率的にお金儲けが上手い賢い人たちの代名詞になっています。しかし実際の事業家とは、徳を積む人たちの代名詞であったはずです。

時代が変われば価値観も変わり、言葉の表した意味も変わります。しかし時代が変わっても徳は変わらずいつまでも燦然と輝き、道をまた探り歩けば光が当たるものです。

引き続き、故郷の徳に見守られながら丹誠を籠めて事業に取り組んでいきたいと思います。

当たり前を拝む暮らし

昨日は、朝から会社の仲間たちと一年を振り返り昼からは結の方々と共に暮らしの中で冬至の時間を過ごしました。また夕方からは祐徳石風呂サウナに入り音楽を味わい直来で備長炭で煮込んだおでんを食べ団欒しました。みんなで持ち寄った「ん」のつく食べ物を発表したり、昨年のことを思い出してみんなで語り合い、来年の予祝をしておめでとうをし運気を上昇させました。

私は、何かのイベントのように物事を行うのが苦手であまり好きではありません。刹那的なものは何か人間の作為的なものを感じてしまいます。もちろん、好き嫌いというだけで悪いことではないので時折それもありますが苦手ということです。

例えば、昨日は冬至で日の入りをみんなで眺めて拝みました。奇跡的に日の入りの瞬間に冬の厚い雲の間から差し込んできた神々しい光に包まれました。お祈りをして法螺貝を奉納したあとさらに光が増し振り返ると一緒に拝んでいる友人たちの顔が光で真っ白になっていました。その神々しさにまた拝みたくなり感謝しました。

私たちは何かを拝もうとするとき、何かの建物越しに拝んだり、あるいは石像やあるいはお経などを通して祈ろうとします。しかし、本来の神々しいものはもっと自然的なものやいつもある当たり前の存在にたいして拝んだ方が深い感動や多幸感が得られるものです。

これは自然であり、人為的ではなく作為もないからです。

古来より私たちの先祖は、自然に太陽や月や水や空気、星空をはじめあらゆる存在の偉大さに気づく感受性を持っていました。だからこそ、当たり前の中に足るを知り真の豊かさや喜びを味わっていたのです。

何かと比較することもなく、何かに勝ち負けもなく、効率や効果なども一切とらわれない、ただそこにあるものに感動していたのではないかと私は思います。

その証拠に、私たちの感受性の中には自然を美しいと感じる調和の心が具わり、同時に五感や六感というような感覚が反応するからです。人間の脳みそで構成された世界ではなく、本来の自然として刷り込みも囚われもない赤子のような心があるのです。

そしてその感性や調和を優先して生きることが、本物の暮らしであり私たちがこの世で許されたいのちの尊厳でもあります。

自然を尊重する生き方は、余計なことをなるべくしないという生き方でもあります。それはあるものを観ては、足るを知り、真の豊かさを謳歌するという一期一会の日々を生きるということでしょう。

子孫のためにどのような暮らしを遺していけるか、そして今にその暮らしをどう甦生して伝承を続けていくか、遠大な理想にむけて日々は小さな暮らしの連続です。この日を大切にして、次回の立春に向けて暮らしを調えていきたいと思います。