湯たんぽとぬくもり

最近は、毎晩、寝床に湯たんぽ(行火)をいれて就寝しています。色々と使ってみたのですが、今は銅製の孟宗竹を縦に割ったような形のものを使っています。この上に足を置いているとすぐに眠くなり、朝方は足元が暖かくて心地よく心身が癒されます。

私は寒いのはあまり得意ではないのですが、冬は私の大好きな炭が使えるのと温熱をつかったおもてなしができるので仕合せです。仕事が忙しくなると、すぐに空調に頼りますが本当は冬の楽しみはこの自然の熱源を楽しむことだと私は感じています。

そもそも行火というのは、日本を代表する歴史の暖房器具の一つです。はじまりは、古代の焚火からです。以前、むかしのアイヌの暮らしを再現している施設にいったら家の中心には必ず焚火をする場所がありました。それが縄文時代からの囲炉裏になり、奈良時代に入ると火鉢というものが登場します。そして行火が平安時代に入り出てきて、室町時代には炬燵が登場してきます。行火というのは、火を運ぶという字から出てきます。つまり、本来は中心に置いていたものを色々な場所に移動して使うということで行火になったということです。

これはなんとなくの想像ですが、火を囲んだ暮らしの中でみんなが集まりその火を分け合います。また残ったぬくもりに布をかぶせてその中でみんなで温まろうとします。それで今の行火や炬燵が登場したということです。

ちなみに行火(湯たんぽ)の名前の由来ですが、「湯婆」の唐音読みといわれます。中国から渡来してきたものが「湯婆子(tangpozi)」「湯婆(tangpo)」という名前だからです。

この婆は「妻」や「母親」の意味で、妻や母親の温かい体温を感じることからその字をあてられたといいます。お湯を入れた容器を抱いているということからもこの字になりました。日本では、何の「たんぽ」なのかということで、お湯を温めるたんぽということで「湯」が付け加えられ「湯湯婆(湯たんぽ)」になっています。

湯たんぽには、お湯を入れるものと豆炭という石炭などを団子状にしたものを使うものがありますが私には豆炭は暖かすぎてお湯の方が相性がいいです。

私たちが感じているぬくもりは、決してただの物質的な熱ではなくそこには心があります。人のぬくもりややさしさ、そして自然の恵みなど、そこに慈愛のようなものを実感して安らかになるのでしょう。

身体が冷えても心までは冷えないように、思いやりとやさしさ、豊かな真心で大切な時間を過ごしていきたいと思います。

世界変革への門出

昨日は、聴福庵にてブロックチェーンエンジニアたちと一緒に鏡開きを行いました。お昼にはその鏡開きの御餅を使い、七つの穀物と七つの若草を使いお雑煮にしたり、かき餅にしてみんなで食べました。

鏡開きでは、まずみんなで鏡餅に感謝をして参拝して、その後は「おめでとうございます」と声掛けをしながら御餅を木槌で開いていきました。清々しい門出と福がみなさんにつながるようにと祈り行いました。

寒い日でしたが、炭をたくさん使った古民家はとてもぬくもり、またコロナでテレワークからなかなか会えない仲間たちと一緒に雑談をしたり学び合い、教え合う時間は、何よりも有意義でした。

畳になれていない人も多く、少し腰が痛いこともありましたが懐かしい未来の時間をみんなで過ごす豊かな時間です。

一昔前まで、日本人はどのような環境で仕事をしていたのでしょうか。そういうことを知っている人ももういませんし、たいした文献も残っていません。

しかしむかしから続いている場所で、むかしの真心をもって文化を継承している人がいるとそこには懐かしい未来の場が甦生するのです。私がそうであるように、私の暮らしフルネスの実践の中に人が入ればそこに何かを直感してくれます。

それは私が先人の智慧を尊び、日本人であることの素晴らしさ、文化の偉大さを実感しているからにほかなりません。現在は、都市化され国家を優先して生活というものを激変させましたからむかしからある本来の豊かな暮らしを失っていきました。

生きているということは、決して生活のためだけではなく暮らしのためにあります。この暮らしは、現代の暮らしではなく、懐かしい暮らしのことを言うのです。暮らしの定義を換えない限り、本来の私たちの豊かさは原点回帰しないのではないかとも感じます。

コロナで私たちは大切な何かを思い出し、そしてコロナ後に世界は人類のしあわせとは何かということを考えようと話していました。しかし、現在の社会情勢をみていたら原点回帰は元の経済優先の仕事中心に戻ることのように報道されます。

残念なことです。

人は一人ひとりの中での意識の変革によってしか世界は変わっていきません。まずは自分自身が変わることで、つまり暮らしを換えることで世界は真に変革していくと私は思っているのです。

子どもたちの未来、子孫たちの平和のために、世界の変革をこの場所、私のいる足元から変えるために実践を積んでいきたいと思います。

体験と気づき

人は体験するということは、自分の知らないことに気づくということです。知ってから体験すると、知っている体験をしようと思うあまりその体験を素直に気づくことができないものもあります。

例えば、太陽とは何かというものを知識で得たとしてもその太陽の持っている多様な力や徳を全部わかることは決してありません。人間は、固有の言葉を用いてそのものを分類分けて理解し、その言葉で語り合いますがその深さや真実を知るには膨大な体験と気づきが必要になるからです。

人によっては、ある真実や本質までたどり着いている人がいます。こういう人たちは、それぞれの分野である一定のところまでその事物や存在を深めてその体験から何が本当のことかということに気づいた人であったりします。

ある人は、自然界の観察から太陽を理解し、またある人は光や熱源というものから理解し、そのすべてを気づいたわけでなくてもその太陽というものの存在をあらゆるすべての存在を通して観ているとその本質に少し気づくことができるというものです。

ただ、気づいて知ったからといってコントロールすることなどできず私たちはその存在に寄り添い合わせていくしかありません。その存在を知ることは、その存在と一体になっていくからです。

この自他一体になる感覚というものは、万物とつながるための方法の一つです。本来は、分かれていなかったものをもう一度、一つに融和するということ。これが気づきを促進し、そのもののことを深く感じることができるからです。この感じる世界、気づきの領域というものは体験で近づいていきます。

良質な体験をし続けるためには、この感じる力、五感を研ぎ澄ませて素直な心で自分から傾聴し感謝し続けるという実践も必要です。謙虚であればあるほどに、この世の普遍的な事実に気づきやすくなるということです。

生まれたての子どもたちは、みんなその感覚の境地を開いています。それを閉じていくのが、知識でもあります。このような時代、知識に頼り過ぎてしまいその感覚の世界が失われてきつつあります。本来の人間の学びとは何か、子どもたちの環境を創造しながら見守っていきたいと思います。

存在

人はいつも同じ人とずっと一緒にいるわけではありません。特に若い時に知り合った友や、そしてご縁のあった方々とはまた離れて暮らしていくものです。しかし、これはいつの時代も同じですが離れていても心は傍にいるという感覚といものがあります。

これは同じ志を持っていたり、共感をしたり、もしくは、ご縁を信じていたりする感覚を持っているということです。そしてこれは、生きている存在だけではなくご先祖さまやもしくは故郷のように形のないものにもそれを感じるものです。

人との出会いというものは、誰かが引き合わせていきます。その誰かは、まるで先にそうなることを知っていたかのようにその人と人を見事に繋ぎ合わせていきます。ここには、まるで時間という概念がなく未来も過去も今もありません。言い換えるのなら、「そうなるご縁を知っている」かのようです。

つまり、未来を予測するのでもなく、過去からつなぐでもなく、今その瞬間に感じたわけでもなく、「そういうご縁である」と最初から確定して存在しているのです。これを天命とか運命とか宿命だという人もいます。しかし、よく考えてみるとこの世のすべての存在に想像を膨らますとき、複雑にみえて実はシンプルに「ただそこにあるもの」という事実に気づきます。

存在は、いのちのカタチであり、カタチとしての認識が存在となっているのです。そしてこの存在するということを人間の感覚でとらえるとき、そこには役割があるという認識を持ちます。

役割があり存在があるとするのなら、そこにはご縁があるということになります。そのご縁は、丸ごと一体でありそのすべてに役割がある。役割を誰かが無理に決めるのでもなく、存在そのものを役割にするという考え方です。

私たちの心というのは、その存在をいつも身近に感じているものです。

懐かしいという感覚は、どこかその存在のことを示唆しているように私はいつも感じます。古いものに触れても、新しいものに触っても、懐かしいのです。形と無形は永遠に循環していきますが、そこに存在する真心はいつまでも不滅にあります。そういうものを身近に感じて暮らしていけることこそ、真の意味で豊かなことでありいのちが磨かれていることではないかとも感じます。

難しい書き方になりましたが、昨日、ちょうど哲学者の方と一緒だったのでその影響もあったかもしれません。子どもたちの未来のために一つ一つの存在に深く感謝して、今日も一日を過ごしていきたいと思います。

行事の本当の意味

私たちは様々な年中行事という文化を持っています。保育園や幼稚園をはじめ、老人ホームなど、生活の中で行事は当然のように実施されていきます。最近は、イベントのように行事は使われていますが本来は日本人の心を守るためのものだったのではないかと私は感じます。

その理由は、すべての行事が感謝に関係していることからです。私たちは、何のためにそれをやるのかという理由を持っています。そして行事であればその行事がはじまった理由があります。その理由は初心でもあり、その初心を甦生し繰り返していくなかで智慧や真心を伝承していくのです。

なんとなく忙しくなり、とにかくやるだけ続けていくなかで簡素化していくとその本質や意味が失われていくものです。だからといって、ガチガチに形を決めてそれをただやっていたら行事で疲れてしまいます。本来は、自然体で行事をし、そのまま感謝で実施されていくのが一番です。

しかし自然体であるためには、日々の暮らしの方をしっかりと維持していることが重要です。そもそも行事は、暮らしの中での行事であって決して暮らしから外れた単なるイベントではありません。これは暮らしの節目に感謝していくものでありその節目に心をなくさないように、先人への感謝を思い出すようにと豊かに取り組んでいくものだと私は思います。

豊かさというものは、心のゆとりでもあります。心のゆとりとは、感謝の心を持っていることであり、決して時間が暇になることではありません。ゆとりがあるというのは、心が感謝で満ち足りているということです。

世間ではゆとり教育とかいって、テクニックや方法論ばかりが議論されましたが本来は日本人がもっていた心のゆとりの回復であったのではないかと私は思います。そのためにまず必要なことが行事の改革であるというのは私の直観する本筋です。

時代が変わっていくなかでも大切なものはいつまでも失ってはいけません。

その大切なものを甦生させ続けていく、伊勢神宮が式年遷宮をするように、神道では常若という実践があるように、これは日本の先人たちがいつまでも子孫のためにと祈り続けてきた一つのカタチなのです。

行事の本当の意味を知ることは、私たちのルーツと未来をつなぎ永続させていくことです。子どもたちの未来のためにも、暮らしフルネスの大本命の一つ、行事の改革に今年から本格的に取り組んでいきたいと思います。

御粥の伝統と甦生

七草がゆの御粥のはじまりについて深めているといろいろなことが分かってきます。

この御粥という言葉は、延暦二三(八〇四)年に記された伊勢神宮の「皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)」の中に出てきます。この「粥」という字は「煮た米」を現します。字の意味は「固粥」で、現代のご飯とは蒸したお米ですから別のものです。

もともと日本では紀元前一世紀ごろには御粥は食べ始められていたといいます。世界では3000年前から食べられていたといいます。その時の御粥は、今でいうおこわのようなものだったといわれます。

縄文土器など見てもわかりますが、焼いた石の上で料理したり、煮込んだりしたものが主流でしたから穀物も同じように煮たてていたのがわかります。東南アジアの料理で、葉っぱにくるまったおこわを食べますが私にはあのイメージです。

稲作がしっかりと根付いた弥生時代にはうるち米を煮て食べていたともいわれます。それが奈良時代には、土鍋で煮た水分の少ない固めの粥が食べられていました。これが固めの粥「固粥」と呼ばれます。

ここでの土鍋は、「甑」(こしき)と呼ばれる土器が使われていたといいます。この『甑』は、底に湯気を通すための小さな穴がいくつも開いた深めの鉢のようなものです。そこにお米を入れて、湯の入った釜の上に置いて蒸していました。これが発展して木製のものになり、それが蒸籠になるのです。

こうやって蒸して出来た粘り気もなくて固かったので「強飯」(こわいい)と呼ばれました。そしてここからいよいよ羽釜が登場してきます。竈で羽釜をつけてご飯を炊くのです。それまで鉄の釜は中国から伝わって来ましたが、その釜には羽の部分なかったといいます。すると竈にはめ込んだ時、持ち手である羽が無いので取り外すのが大変だったのでそこで取り外しが楽になり釜を洗う時にも便利なように羽を付けることを考えて発明されたのがこの羽釜です。先人たちの智慧の偉大さを感じます。そこから今の私達が食べているご飯の原型は変わっていません。

御粥の方はそこから分かれて、土鍋で煮た水分の多いものを御粥として発展します。汁粥ともいわれ水分が多く、汁が入ったご飯です。11世紀ころには文献にもおかゆとして書かれています。病人が食べるようなイメージになったのは、江戸時代だといいます。御粥は、水加減で呼び名も変わります。水加減一対五は「全粥」、一対七なら「七分粥」。一対一五なら「三分粥」。一対一〇で炊いて、汁だけこし取ったものは「重湯」といいます。そして全粥一に対して重湯九の割合で混ぜたものが「御交(おまじり)」というそうです。病人食や老人食や離乳食といった目的に応じて、作り方も呼び方も変わります。

江戸時代にはこのように御粥はいろいろな姿に形状を変えていきます。七草がゆが愛されるのも、この医療や治癒に御粥が重宝されてきたからかもしれません。

今日は七草がゆの日です。

本来の日本人がどのような祈りと意味と願いを込めて、このような伝統を伝承してきたのか。子どもたちの未来のために甦生していきたいと思います。

行事の意味~人日の節供~

現在、和漢方のことなどを深めていて七草がゆの効能も調べています。同時にまもなく到来する人日の節供(七草の節供)の準備をしています。

まずこの人日の節供(じんじつのせっく)という呼び名は、中国では1日が鶏、2日が狗、3日が羊、4日が猪、5日が牛、6日が馬とそれぞれ獣畜を占う日があり、その日にあたる動物は殺生しないことになっていました。7日が人を占う日なのでこの日は人との争いは避け、犯罪者に対する処罰もしなかったそうです。

そもそもこの七草粥を食べる習慣は古代中国から伝来したものを奈良時代から平安時代にかけて宮中行事となり、江戸時代に「五節供」の1つ「人日の節供」(七草の節供)として幕府の公式行事となったことがわかっています。そして明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止された行事です。

もっと遡れば、七草粥になったのは、室町時代になってからだともいわれています。それまでは「羮」(あつもの)といってお雑煮のような汁物、汁椀の中に七草が入ったものだったのが想像できます。この七草は中国最古の歳時記「荊楚歳時記」に「正月七日、人日と為し、七種菜を以って羹と為す」から「七種菜羹」を食べて邪気払いをし健康と無病息災を願う行事があったことがわかっています。日本に伝来してから正月初子の日に若菜を摘み取る「若菜摘み」の風習と和合し「供若菜」という宮廷行事になったともあります。「延喜式」にも「正月十五日供御七種粥料」と記されていて、米の他、粟、きび、胡麻、小豆などの穀物が入っていたそうです。それを入れた粥を食すると一年の邪気を払うと信じられていました。邪気払いですから、鬼退治などでも使われる穀物中心になっています。

話を節供に戻しますが「節句」という字になっていますが本来は「節の日に供える」という意味でした。区切りとしての「句」に挿げ替えられていますが「お供えをするこころの文化」というのが、この節句の本質であるということがわかります。

明治の歴の廃止で七草粥だけなんとなく残っていますが、そもそも節供とは何かということを理解して取り組むことでその意味を感じ効力が発揮されるようにも思います。

現代は、物質文明で科学的なものしか信じない風潮がありますが本来は目に見えない存在、私たちがいつもいただいている御蔭様の見守りや恩徳に対して感謝する心が「おもてなし」をふるまい、しつらうことで顕現していくものです。

日本人の大切にしてきた「供養」するという実践が、単なる意味もないものになっているのは残念なことです。子どもたちには、その意味を理解できるように今一度、食べるだけではなくそれを室礼したり、おもてなしする作法や道を伝承していけたらと思っています。

最後に、郷里の福岡県には、七草汁というものがあります。これは七草を中心に味噌仕立てにした汁、「カツオ菜」を使うことが特徴です。福岡ではカツオ菜や高菜は古くから親しまれてきた伝統野菜です。これが雑煮や吸い物に使われることも多いそうで名前も「カツオの出汁がなくても同じぐらいおいしい」ことからそう呼ばれいるそうです。

今週末は来客がたくさん来られます。みんなで福を分けて豊かな暮らしフルネスの時間を過ごしたいと思います。

 

行事の意味

昨日は、おせち料理を用意し親族も集まりみんなで正月のゆったりとした時間を味わいました。毎年、恒例行事があることで子どもたちをはじめ色々と成長しているのを実感できます。老いも若きもみんなそれぞれの時代において仕合せに過ごせることは安心であり幸福です。

今ではおせち料理というと何種類も何十種類もあるもののようになっていますが本来はとてもシンプルなものだったといいます。平安時代には、高盛されたご飯のようなものだったともいわれています。

もともとこのおせちは、中国の歴である季節の変わり目の「節」が取り入れられたころからはじまったともといわれます。中国では、陰陽五行が紀元前1000年前からはじまっており日本には平安時代に宮廷に取り入れられて独自の発展をしていったものといわれます。これを節分とは言わず「追儺(ついな)」という皇室で行われてた鬼払いの儀式とされています。中国では中国では「大儺の礼(たいな)」として行われていたともいいます。

本来これらの宮廷文化だったものが庶民に入ったのは江戸時代です。明治時代には改暦によって、これらの行事も失われていきました。中国でも清の時代に、これらの風習はよくないと一方的に失われていったといいます。現在では、中国よりも日本の方が五節句をはじめ邪気払いとして独自に進化して残っています。

先ほどのおせち料理も、今のようなおせち料理という名前になって重箱にたくさんの種類の料理が入ったのも戦後だといわれます。バブルの時に、さらに発展して今のようなおせち料理になったそうです。

そう考えてみると、伝統と私たちが信じているものは遡れば最近はじまったものであったり、他国のものであったりといい加減なものであることもわかります。しかし、元を辿ればなぜはじまったのか、何をする行事だったのが本質だったのかと深めれば、その伝統行事を再び、この時代に甦生させていくこともできるのです。

はじまりを知ることは、その行事の意味を知ることなのです。

子どもたちのためにもなんとなく続けているものをもう一度すべて洗い直し、新たな伝統文化として温故知新して息を吹き返していきたいと思います。

2022のテーマ

昨年は、今まで知りあうはずではない方々とのご縁が広がった一年になりました。また徳積堂、和楽と古いものを甦生し、新しい場へと生まれ変わらせる機会をいただきました。そして多くの御蔭様を経て、これから英彦山の甦生に取り組むことになります。

一年に一度、振り返る機会があるというのはとても豊かなことです。節目に私たちは、今まで何をしてきたか、そしてこれからどうして生きたいかということに向き合う時間を得られます。

自分の人生をどのように使ってきたか、それが一年の経過で観てとることができます。私は選ばないという生き方を実践していますが、振り返っていると選ばない中で選ばれているという感覚を実感します。私が選んでいなくても、選ばれているという事実。そして私が選んだと思っていたら、選ばれているという事実。つまり自他一体のように、ご縁の中心に事実はあり常に「選択されている」ということがわかるのです。

これは私の生き方ですが、この方法が甦生の極意にもなっています。

別の言い方では、天にお任せして生きていくという生き方です。天が何かをさせようと私を誕生させます。その天の命に従うように自由に生きていきます。その自由に生きる中で私たちは偉大な愛に気づいていきます。他にも、偉大な恩恵、偉大な感謝、ありとあらゆる自然の恩徳に巡り会って人生を深く味わっていくことができるのです。

昨年のテーマは「感謝を磨く」でした。どれだけ感謝が磨けたはわかりませんが、当たり前に気づき足るを知る機会は今までよりも多かったように思います。コロナのこともあり、今までの既存の資本主義や経済発展という物差しと向き合って新しい生き方、「暮らしフルネス」という自著を上梓することもできました。

そしてこれからのコロナ後に入るために私たち人類の意識は一つ変わっていかなければなりません。それは今までの物質的に偏る豊を手放す決断が必要になります。私たちの先祖たちは、子孫のために徳を積みました。これは単なる発展ではなく、地球の生命と共に暮らしを豊かにしていくという道を選んだのです。これは先ほどの選ばれたという言い方にすれば、人類は地球に選ばれているのです。もう少し謙虚になって、バランスを保つ工夫をしなければこの歪は大きな揺れ戻しになって人類に襲い掛かってくるようにも思います。

ここからの一年は、私たちはどのような選択をするかでこの先の1000年が決まります。ここに人間、一人ひとりの試練がはじまっています。私もその一人として天を信じて選ばれた側の心で謙虚に道を切り拓いていきたいと思います。

最後に今年のテーマは、「いのちを磨く」ということにしました。いのちは愛そのものであり、愛はいのちを慈しみ尊重するときに顕現します。愛は人類と地球を救うものであるという事実は普遍的です。それはかつての聖人たちがみんな後ろ姿で示したものです。

時代が変わっても、人は人を愛し、愛は地球そのものを丸ごと包みます。

この美しい時間をいつまでも子どもたちや、新しいいのちにつないでいけるようにこんな時代だからこそ勇猛果敢に徳を積んでいきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

 

信じる道を貫き通す

昨日は、一年の振り返りを会社の仲間たちと一緒に行いました。こうやって毎年、続けてこられて20年目に入ります。来年度で20周年ですが、思い返せば色々な思い出深いことがあった20年でした。

特にこの一年は、コロナの影響があってそれぞれの場所でそれぞれに自分の役割を全うしていきました。これで本当にいいのだろうかと思うこともありましたが、今できることに専念するということでそれぞれに自分を盡していきました。

世の中の価値観では、こうあるべきというものがたくさんあります。そういう意味では、私を含め私たちの会社はこうあるべきというものと逆のことをやることが多いように思います。

本当は、世間の価値観に迎合し、みんながやっていることに従っている方が楽になります。みんなの思う正解や平均、それまで刷り込まれてきた常識に合わせていく方が無難ですし、余計な不安はなくなるのです。

まるでみんなで渡れば怖くないというように、人が大勢いる方が大丈夫だろうと安心したくなるのも人間の真理です。多い人=安全という意識もまた、私たちが元来持っているものです。

しかし、自分の理想や目的や信念、初心があったり、理想への憧れやこれは譲れないと思えるほどの優先順位がある人はその多い人=安全ということは関係がありません。自分が少ない人=危険であっても関係なく、その人の目指すゴールイメージに近づけるための努力をし続けていくのです。

ある人はその孤独が嫌だと避けようとします、またある人はかえってその孤高の状態をよしとしてさらに前へと足を進めます。人は生き方ですから、その生き方を決めるのはその人自身です。

どのような結果が待っていたにせよ、自分の信じる道を貫き通すことは悔いのない生き方になります。人生の中で大切なものや大事なものは増えていくばかりです。その一つ一つを守りたいと思っても体は一つしかありませんし時間も一日、24時間と制限があります。手放すことはとても辛く苦しいことですが、一つ一つを丁寧に手放し、理解してもらい、時には人に頼り、生きていくのが人生でもあります。

大事なことをやり遂げるのは、全体快適のためでもあり長い目でみた子どもたちの未来のためです。目先の子どものためも大切な仕事ですが、1000年先の子どものためも同時に大切なことです。

誰かがやらないといけないことを自分がやると決めてくれる志のある人は、この先も大切にしていきたい存在です。私も場をととのえ、志士たちと力を合わせて理想を実現させていきたいと思います。