法螺貝の徳

法螺貝を一つ一つ調律していると、貝の徳や個性があることがよくわかります。この世に一つとして同じ貝はなく、その貝も海で色々な一生を送りその後の貝殻としての役割で新しいいのちを生きていきます。

考えてみると、私たちが日常で使っている木材なども様々なカタチになって新しいいのちを生きています。このブログを書いているテーブルも、100年以上前のもので、木材においてはさらにその先の何十年も生きたものです。これは経年変化して飴色になっている木材を観るとすぐにわかります。他にも信仰の対象になる木像をはじめ、水車や舟などあらゆるものにカタチを変えています。そしてこのように新しいカタチになってからの方がいのちは長いのです。

そしてその木にも一つ一つの徳があり、個性があります。これをどう観察して活かすかは、その人のそのものへの向き合い方をはじめ技量や技術が必要です。そして何よりも思いや祈りといったものが必要不可欠です。

長く寿命が続くものには、それ相応な「品格」というものがあります。その品格は、人だと人格というものになります。他にも品性などともいわれます。そのものに具わっている人柄、あるいは人間性です。これは人間にだけ具わるものではなく、同じように貝にもあるのです。

この貝の品性をどのように理解していくか。

これは手で触れなければほとんどわかりません。見た目だけではなく、そのものを触り加工するときに直観して伝わってくるものです。それをどのような姿にするか、そしてどのような人の手に渡るのか、この辺が重要になってきます。

むかし、日本刀は人を選ぶと教えていただいたことがあります。私も一振りを持っているのですが、刀の方が人を選ぶといいます。当然、手入れしてくれる人であるか、そしてその刀を持つのに相応しいかと人格や品格を結ぶのです。

法螺貝づくりは、一期一会です。

心身も精神も削られますが、丁寧に真心を籠めて一神一神、徳を磨いていきたいと思います。