理念の理解

人物のことが分かるには理解がある。

先日、マザーテレサとマハトマガンジーの映画を続けて見ることがあった。
その際、その人の人生を俳優が演じ、監督が演出するのだけれど、画面を通しての本人たちは分かるけれど実際の人生は生々しく到底今の私には理解することが難しい。

理解と言う字は、理を解すると書く。
理が分かるというのは、同じような実践によりその理が身に着くと言うこと。

映画の中で、偉人を理解しない大衆が次々と現れその人の遣りたいことを妨害していくシーンがある。そしてそれはとても身近な仲の良い人でもその人を理解せずに良かれと思いつつ妨害していくことがある。

長い付き合いなのにその人をことを理解した気になり、いつもその人の周りに居て親切心で最大の妨害をしている人がいる。

みんな周囲はその人は良い人だからなのだと思いこむけれど、本当は偉人の理を解さず誤った発言と行動によりより偉人を孤独に追いこんでいくことがある。しかしその人の素直な気持ちがあるから最期まで偉人とともに歩むことができ、偉人を言葉では理解できなくても心で伝わり感動することができるのだと思う。

人の素晴らしさとは、そういう感動することだと改めて感じることができる。人は素直さがあれば良いけれど、素直でなければどんな意味もどんな価値も守ることはできない。

しかし、そうはいっても周囲のことはどうあれ歴史を鑑が観ると偉人はみんな孤独の中で孤独を味わい尽くしながら自分の信念を自立し醸成する。

誰からも分かってもらわなくても自分が定めた菩提心(利他)で生きることを常に優先して耐えて諦めているのだとも私は思う。結果としては、次々に理解されなかったことがそのものの信念を強くしたので良かったのかもしれないが、私自身はどうしてもそれを見ると共感してしまい悲しく辛いことであり、そういう人たちが孤独に闘っているところを観るといてもたってもいられない気持ちになる。

私も師匠が深い慈愛と真心で子どもたちのために取り組んでいる日々を思うと、自らの怠らなさや至らなさに恥ずかしい思いがし、何とかそういうことを理解できうる覚者になりお手伝いしたいと願わない日はない。

他人のためといいながら自分のためにやっている偽善ではなく、他人のために自分をなくし本当に他人のために生きる至善の人を何よりも心の同志とし助けていきたいと思うのは私自身を正義のままに守るためでもある。

通常人はつい物事を自分の判断基準、自我を通じた身勝手なモノサシで物事を見ようとするけれどそこに大きなワナと落とし穴があるのだと思う。

なぜなら公のために理を優先して生きる人というのは自分のエゴを入れる人からは想像することも近寄ることもできずその人を正しく理解することは難しくなる

さらに「理のみ」という真理で生きる人というのはそれほど無我であり自然一体であり、まだ植物や動物、昆虫ならまだしも、普通の人間には安易にできないことをやっているから解することができないのは当然のことだと私は思う。

でもそういう本物が人類を善き理解者として正しく導くものだし、そういう人だけが調和の中で人類を豊かさな方向へ示唆していくものだと私は思う。

きっと仏陀もキリストもさらには、孔子もコルチャックもマザーテレサも、空海も、思想の遺志はそうやって引き継がれていくものだとも思う。

だからこそそういう人に対して、誰がどのように論評するのは周囲の自由だけれど、もし正しいことを自分もしたいのならば本当に理解したいのならば当然自らも理のみの実践で感じてみることだと思う。

普通の人は利のみで生きる、真実の人は理のみで生きるのだと私は思う。

単に人を分かった気になるのは、やっぱり正しく理解しないから。

誤解したり、偏見を持ったりしていてはいつまでもその人のやりたいことが分からないし、本質的に自分を尽くしていくことができなくなる。

理念とは実践をしてこそはじめて解するもの。
理念を理解することは、理を学び、念じることで次第に解けていくもの。

私たちの現場にいるあの幼い子どもたちがよく本物が分かり本質的であり正しく理念が伝わるのは本質的にその存在がまだ自然であり理のままだからだと私は思っている。

だからこそ、私たちは子どもたちからよく学び、その自らの理によって周囲や環境を解していくことで仕組みや環境、技術を用意することを大事にしていかないといけないと思う。

安易な発想やビジネスは大人は騙されても、子どもや自分自身を欺くことはできない。

そしてそれぞれ自分たち大人が、何より子どもの理を実践し、寛容と思いやりを失い自ら気づき自立できなければどうやって子どもたちのあるがままの発達を見守ることができようか。

まずは自分が理で生きている人に近づけるよう、私自身は、今回のことからも深く気づき、何より自らの分度を定め、理を実践していきたい。

一期一会