美しい思い出

二宮尊徳をはじめ、代表的日本人を世界へ紹介した内村鑑三が遺した言葉がある。

『後世へ遺すべき物は、お金、事業、思想もあるが、誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。』

これは、別の著書で2つの講演を記録した「後世への最大の遺物・デンマルク国の話」の中で語られたものです。

死を思うとき、何を遺せるかと思えばやはりその生き方であると思うのです。

どんなことを為したか、どんなに裕福になって偉業をなしたか、誰がやったか思ったかということでもありません。人はどのような人生であったにせよ、どのように素晴らしい生き方を目指したか、どのように素敵に生きていたかということが、子々孫々へ遺せるものではないかということに思えるのです。

日々に内省し、ものの見方を転じ、かんながらの道を歩んでいくなかで実感するのは先人たちが遺してくださった大切な生き方であろうと感じるからです。孔子もブッダも神話の先祖も、すべてはどのような生き方をしたかということを遺してくださっているのです。

私たちは亡くなったものたちから何をいただいているのでしょうか。
そして今生きているものたちから何をいただいているのでしょうか。

それはこの地球上で息吹く間のこの世でのいのちの在り方、生き方であるのです。

すぐに私欲や私心から、形ばかりを遺そうとしてしまいますが欲や心を清めて澄まし、魂の声に耳を傾ければ、美しい思い出を遺したいという感情が湧いてくるのです。

最後に、内村鑑三はこう続きます。

『われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。』

このいのちは全体につながっている中で巡っているのだから、子ども達に譲っていけるのは何よりも美しく生きたその物語、そしてその人の思い出そのものかもしれません。私たちはそこに確かな希望を得て、よりよく生きることを目指していくことができるからです。

私たちが譲られた美しい思い出を、子ども達にも譲り渡していきたいと思います。