自然に合い沿う

昨日、九州にある自然農の畑に友人と冬野菜の種まきと玉ねぎの移植を行いました。

種には蒔き時というものがあり、季節と天候を観ながらの判断なのでしょうが五感が覚えているのかいつも気候も恵まれ善いタイミングを得られます。種を蒔いて水をかけるという方法もありますが、ちょうど雨が降る前に蒔くと自然が手助けしてくださいます。

ちょうど種もそういう時期にあわせて自分たちが芽を出す時機を狙っているかのようです。春の雨と秋の雨は、新しく生まれていくいのちをいつも蔭ながら支えています。これもものの観方ですが、種は雨を観ながら雨に合わせてタイミングを計っているかのようです。

自然に合わせるということは、自然の営みの中にいることです。自分の思い通りに合わせようとしても自然とは合いません、なぜならすべてのいのちは自然に合わせて活動するからです。何に合わせるか、これを「自分に」になのか、「天地、自然」つまり法則や法理にあわせるのかで合っているかどうかを学ぶのです。

自然からや法則から学ぶのは、それが本来のいのちの自然体であるからです。

私たちが共生するのも力を合わせていけるのも、絶対的な自然である「一つ」のものにいのちを合わせるからであろうとも思います。自分たちの都合で自然に合わせなくてもいいとなれば、自然の手助けをいのちが効果的に得ることができなくなります。

種を蒔くのは自分なのか、種の手助けをするのは自分なのか、育てるや見守るというものは、自分たちが何かをすることよりも自然に合わせようとするのを少しだけ手助けすることしかできないように思います。

また田畑に出て静かに観察していると、私たち人間よりも植物や動物をはじめ自然にいるものはよく自然の在り様が観えています。そのものの在り様にあわせて、どのように育っていくのかを私たちが客観的に見守ることで自然を学ぶのです。

自然から学ぶのは、どのように自然が学んでいるかを学ぶともいいます。
本来、どのようにしているのか、そこに学び方、教え方、育て方、育ち方があるからです。
これがいのちの学び方です、つまり発達の学び方というものです。

保育や教育というものの原点も、元来、創始から私たち人間はずっと自然に学びました。
幼児期の大切さもこの種からはじめることでさらに実感します。

まもなく辿り着きますがこの仕組みを可視化し、社業に活かしていきたいと思います。