我を省く

人は自分の思いもしないような出来事が起きると、出来事が起きたのは自分が起こしたのかと考える間もなくその状況に右往左往してしまうものです。

しかし四季のめぐりや蒔いた種が芽を出すように、実は本来は自分が望んで起こした現象であるとも言えるのです。それが他人や外部から起こされたかのように感じてしまうのは、突然のことであったり、予期していないや、想定外などといった理由をつけてはそうしているのです。

例えば、先日の原発事故もそうですがそうなると分かっていることを今さら想定外ということをいっても、本来はその原発をつくるという種を蒔いているからこそその芽が出ているとも言えるのです。

人生は理不尽に感じるのは、主観で自我が強いから自分の思い通りではないや自分の都合にあわないと思うからであり、もしも主観で自分がなければ必然であることや役割であったことを受け容れるように思います。

もちろん、主観か客観かという意味ではなく、その両方の主導権をどう持つのかということになるのではないかと思います。

自他を尊重しようとすると、自分もですが相手のことも同じくらい思いやる必要があります。それはまるで、自分の身体も心も大事しているのと似ていていつも感謝のままでいるということに他なりません。

人はつい当たり前と思うと、すぐに自分の都合で当たり前であることを認識します。しかし本来のことすべては当たり前ではない、実は有難いことだと思っていれば自然に感謝していくことができるのです。

気が付くと人は自分のことばかりを考えていて、あまり全体や周りの人々のことを考えなくなってきたように思います。もちろん、だからこそ優しい人は目立つ世の中になってきましたがみんなが目指した日本人の姿に近づけるようにそれぞれが正直に精進していくことしかないように思います。

そのような他人の事を自分のこと以上に考えられるような温かい心を持つ人をリーダーに育てていくような環境もまた必要だと私は思います。昔の模範はいくらでも足跡や人々の心に残っています。これは今の時代だからとか、環境が異なっているからできないのではありません。

御互いの利害を超えてまで生き方に正直に真摯に取り組んでいく誠の心を今の世代の責任者として体現していくことがこれからの子どもたちの未来への希望になるはずです。

利害を超えて、心から共に歩めるような同志を求め師と共に自らの我を省くことに取り組んでいきたいと思います。