変化は自信

先日、長いお付き合いのある園にお伺いして私たちとご縁があってから今までの変化の経過を改めてヒアリングし再確認することがありました。

当初はなかなか新しいことを行うことに億劫で変化できずに試行錯誤し、大変苦労していらっしゃったのを思い出します。それがこの4,5年で劇的に変化し、今では外見も中身も別のようになっています。もう以前がどうだったのかも思い出せない程になっていることに、感動と尊敬、歓びを感じることができました。

そのお話の中で、一番印象に残ったのは「自信がついた」ということでした。

以前は、自信がなかったけれど私の一言や関わり、具体的に実践してみせることやアドバイス、周りの方々の見守りの御蔭でそれを素直に聴いてやったら自分も同じように実践しているうちに次第に自信がついたと仰っていました。

そして周りの職員の方々にも変化の経過を確認したら、同様に園長が変化し自信を持ち変わっていく姿を観て自分も同じように実践していたら自信がついて楽しくなったと仰っていました。

ここで両者から変わるということの本質が拝聴できたような気がします。

昔、映画の「プリティーウーマン」を観た時、変わるということの本質を深く考えたことがありました。自分が信じたその人が変わることで自分が変わっていくということ。変わるということは、互いの最良のところ、本質のところを信じて、それに向かって互いに精進していくことのように思ったのです。

あの映画では、貧乏で不遇から娼婦だった女性と、裕福でしたがビジネスライクで冷酷だった男性がもともと持っていた自分の本質の姿を互いに取り戻していくというものでした。本来のその人が、環境によって流されてしまっていたものが互いの努力と精進によって今までの環境に負けない本来の姿を取り戻していくことでした。

つまり、本来のその人が発揮されるには本来のその人が発揮できるような周りの信頼とその当人の信頼があって成り立つのです。互いに信頼し合う中で、自分を信頼できるようになっていくというのは、それは互いに本質を信頼し合うことができたということなのです。

自分が信じた人が、自分を信じれるようになり、自分で自分を信じることができるようになる。それを変化したということかもしれません。そう考えてみると変化というものは、そのものがより素晴らしく輝きだすことでそれを自信というのでしょう。

自信とは、本来のその人のありのままの姿を信じること。そしてそれが出てくるように何度も御互いに信じて挑戦して自分を変えていくことのように思うのです。

私が信じた人が、私が信じたように素晴らしい人たち、凄い人たちになっていくのに得難い幸せを感じます。感謝と有難さから、心も震えましたし何よりも互いに信じ合って頑張ってきた道のりに改めて自分の生き甲斐も存在価値も実感しました。

人が自立し、本来の姿のままでいられることは自分もそのままでいいと感じることにつながります。変化を楽しみ、本質を貫き、互いを信じてかんながらの道を切り開いていこうと思います。