基本の心構え~自然の練習~

基本を身に着けるのに「場数を踏む」というものがあります。
これは実際の体験を通して、場に慣れていくということです。

つい何かをはじめようとすると、早く早くという焦りから応用のテクニックや上級者の持っている技術を学ぼうとしてしまうものです。しかしそれは基本ができあがってからでなければ、ラッキーからのマグレはあってもそれがいつも同じことができるわけではないので面倒でも基本を徹底しないと力は着きません。

この基本を身に着けるということがどういうことかを私なりに深めてみます。

基本というものは、まず何の仕事であったとしても「習うよりも慣れろ」というのが私の大前提にある理論です。これはどういう言葉の意味かといえば、あらたまって人から教えてもらうより実際に経験を積んだり練習を重ねたりして、体で覚えていくほうが、しっかりと身につくという意味で使われる言葉です。

例えば自転車で場数を踏むというのはどういうことかと書いてみます。自転車をいくら何度も教わってみて頭で理解しても自分が乗ってみなければ乗れるようにはなりません。勿論、最初の形のようなものは経験者は教えてくれますがスピードやカーブ、また上り下りなどのコントロールなども全ては実際に乗って慣れるまで経験を積まなければ運転していくことはできないのです。

そしてこの経験を積むということを私は「場数」と呼びます。この場数というものをどれだけ体験するか、それをどれだけ工夫するかというのが初心者の基本です。もっとストレートな言い方をすれば、初心者の基本は毎日欠かさず徹底して慣れ切るまで遣り切る事です。

営業で言えば、飛び込み営業などもそうです。営業の基本は、自分を意識しすぎないことや場慣れといっていつでもオープンで自然な姿で他人と対話がができる状態をまずは創るということです。

人は慣れていないと最初は自我があるため、初めての人にはなかなか話せないものですし相手の反応次第でドギマギとして不快にしてしまうことがあるからです。どういう態度がいいのか、どのような呼吸があるのか、またどうしているのが最もいいかなどは言葉で教えられるものではなく全ては毎日欠かさない場慣れの中で自然に掴んでいくものです。

そして習うという意味の本質も、他人から教わることをいうのではなく職人の世界で用いられている盗むということが正しいように私には思います。習うというのは、相手がなぜそうなっているのかを自らの洞察と観察、または練習からの実験において自らのものにするという意味です。

習うというのは、どれだけその人と一体になって学ぶか、それは師弟関係のように深まらなければできないものであろうと思います。そして習うより慣れろと来るのです。

習うより慣れろというのは、まずは自分で何度も何度も基本の場数を体験して頭で考えないほどに慣れるほど親しむことのように思います。そのうち、他の上級者との違いもまたその中で分かってくるのです。同じことをしていても同じにはならないとき、その人がどんな経験を積んできたのかを盗むことができるからです。

そして個性とは、その基本が習得できて場慣れしてはじめて出てくるのです。応用や上級のテクニックはすべてにおいて基本があっての応用であるのです。

場数を踏むことを疎かにしてはいけません。この地味でつらく苦しい現場の体験は生涯において偉大な財産になっていくように私は実体験で感じています。自ら主体的に場を求めては訪ねていくことが基本の心構えということでしょう。

常に新しくするとき、自らを場数そのものにしていく本気の挑戦を繰り返して生きたいと思います。