活気

自然の中に身を置く中で、生きる力というものを実感します。

自然の中で生きているものは、人工的なものと異なり厳しい環境の中で逞しく生きています。雑草もそうですが、種が落ちた場所を選ばずにその中でも生き抜いていきます。

たんぽぽなども善い例ですが、簡単には根付けないようなアスファルトや壁の隙間に立派に咲いている様子に心を打たれるものです。

これを不撓不屈というのかもしれません。

雑草を観ていると、自ら生きようとする心が観えてきます。

そしてその心とは何かと言えば、活かされているということへの実感。活かされたのだからという真摯な生き方の実践。つまりはどの今も真剣に活きているということを体現しているのです。

人間はいつからか生き易い方を選び、活き辛くなってきたように思えてなりません。

何でも恵まれた環境、与えられるのが当然となった環境、そういう中で人は大切な何かを見失っているのかもしれません。それは自然の本能と呼べるものかもしれません。本能が出てこないような生き方そのものが活き辛い社会を創っているのかもしれません。

本来の生命には自分にとって当然の環境などはなく、全てに於いて今を活きているかどうか、常に瞬間瞬間を受け容れて善い時を転じきれているのかどうか、それを毎日の活き方にしているように思うのです。

私達の国は瑞々しい瑞穂に満ちた国であると昔から伝わっています。
これは生命力に溢れ、活気があり生気が漲っている様子を言います。

一昔前によく出ていたハングリー精神も、それは元気があったからということなのでしょう。

元気とは、どのようなことを心に望のか、何を期待して信じていくのかといった個性の発掘とつながっているようにも思います。

自然は諦めないのは、元気だからであろうと思います。
別の言い方をすれば、「活気」があるのです。

元々の気をどのように引き出すか、指導者の哲学がそこには必要であるように思います。
自然を観ながら、何が自然であるのか、もう一段、高みへと学びを深めていこうと思います。