時刻往生

本日、38歳の誕生日を無事に迎えることができました。

いつも陰ひなたから見守り支えて下さる方々の御蔭様で活かされ感謝しております。
光陰矢のごとしといっても、その時には有難い充実したご縁と思い出の数々ばかりです。

こういう日だからこそ書きますが、誕生日も年々繰り返す中で生まれ変わるということを昨年のブログでは書きました。日々というものは、朝起きて夜眠りにつくまでに一生を歩んでいるとも言えるからです。

同じように人生においての一年というものは、春夏秋冬に四季を通してその巡るのです。
ですから、この一年もまた一生であるということです。

最後に全人生の中で、朝産まれてきてから夜に眠りにつくまでが一生であります。

私達の人生で何をするのかというのは時に刻まれていくものです。
これはまるで夜の月の満ち欠けのようにです。

もう一つ時刻を例えれば、砂時計のようなものです。

砂は上から下に向かってさらさらと流れ落ち続けます。
狭くなった時間の場所、そこには私たちの意識があってそこを通過するのが毎日です。

しかし確実に砂は下に流れ続けています。
この砂は数々の体験を経た記憶が凝縮されて溜まっているともいえるのです。

その体験の砂を、どのようにしていくのかは自分次第です。
そしてその体験が全部の砂を使い切り、落ちたのならばそこでまたひっくりかえすのです。

人生はどのように時を刻むか、その陰陽によって一つの調和をなしているように思います。
そしてその時に何を容れるか、その時に何を思うか、その時に何を積むかということでしょう。

今まで積み重ねてきたことを思い返せば、そこに道と感謝があることに気づきます。
かんながらの道を歩ませていただける学びに、正直に真心を盡していきたいと思います。

改めて活かされている日々を忘れずに残りの時を楽しんで精進して往きたいと思います。