性格

人間は育っていく中で自分の性格を自らで創りだしていく生きものです。

今まで生きてきた社會の中でどのような立ち位置に納まり、その自分を維持していくかでその人のキャラクターというものはある程度設定されていきます。そのうち齢を取ると自分の性格というものは、自分では変えられないと思い込み、その性格のせいにしては色々と頑なになってしまうものです。

すぐにできることやできないことも決めつけて新しいことをやろうとしないのもまたこのガチガチの価値観が染みついてしまうことでそうなるのでしょう。

しかしコミュニティが変われば、いつまでもその性格を頑なに維持していけるとは限りません。自らその新しい社會に対して自らを変化させて性格を見直す必要性に迫られることもあるのです。

古語に「郷に入っては郷に従え」というものがあります。

これは新しいコミュニティに入り今までの自分の価値観が通用しないのならば新しい価値観を学ぶために自分の性格を変える努力をするという意味でしょう。いくら今まで自分の思い通りにやってきたとしても、自分のいる環境が変われば自分の方を変化させていくのは自然の摂理です。

とはいえ、人は自分の価値観は変えずに、表面だけを変えて自分が変わったと勘違いするものです。しかしそれでは苦しいだけで、自らが学びたい価値観があるにも関わらず自らが近づかずにいつまでも昔の自分のままを周りに受け容れさせようとしてもそれでは新たな社會に馴染むはずもありません。

新しい社會や価値観がそのコミュニティにあるのなら、思い切って今までの自分にこだわらず飛び込んで新しい価値観の素晴らしさに触れていくことで、新たな自分の性格を修正していくことができるように思います。

人は自分の価値観の手直しをしようとはしないものですが、新しいことに挑戦するというのは新しいことで自らの今までの習慣や癖を上書きして直していくということができるからです。いつまでも自分の価値観が壊せなければ、変わらないのはいつまでも自分ということになってしまいます。そうなると、周りに迷惑をかけたり、独りでに環境に馴染めずに枯れてしまう植物のようになってしまいます。

新しい発見も、新しい自分も、それは習慣や癖を変えてしまうほどの努力があってのことです。その努力を楽しんで行う人と、仕方なく行うのではその結果への時間もプロセスも労力も異なってくるように思います。

まず真似をしてみたり、それが如何に素晴らしいかを学ぶというのは、自分自身の好奇心が閉ざさないように常に初心を忘れずに取り組むことのように思います。人間は油断するとすぐに自分の狭い価値観の中に戻ろうとし、気が付くと変わった気になっただけ、分かった気になっただけで価値観はそのままになっていることがほとんどです。

今までやらなかったこと、自分の想像を超える努力をし続けてはじめて価値観も新しく刻まれるのでしょう。時間を懸けても真摯に自らという作品に彫刻していくように、様々な性格を造り上げていくように日々を大切に過ごすことの集積に人格形成もまたあるように思います。

流されてしまっては、いつものままですから自らが研鑽を積み上げて新しい価値観を楽しめる主人公になっていくことが変化の源になることなのでしょう。嫌だと思える事や、ちょっと馴染めないと思える時は、飛び込んでいくチャンスだと捉えられるかどうかに自らの性格を変えるご縁をいただいたと思えるかどうかです。

日々を戒め、油断せずに感謝のままに精進していきたいと思います。