父祖の徳

今の時代を生きる私たちは、今の自分の世代の事しか見えなくなるものです。子どもの仕事をしていると、今の子どもがあるというのはその前の姿があるということを実感します。

私たちは当たり前のことに気づかなくなるのは、今の目に見える世界が当たり前だと勘違いするからです。しかし実際は当たり前のことなど存在せず、私たちは様々な徳恵によって今の自分が存在していることに気づきます。

例えば、仕事であっても今の仕事があるのはその前の人たちが努力精進の上に徳を積み重ねてその仕合せによってご縁をいただき、その一部分のお役目をいただくことができるのです。

家が代々継承されていくというのは、その徳が継承されていくことであろうと私は思います。先祖代々、自分の代を一生懸命に全身全霊に尽力していくことで子子孫孫へ徳が受け継がれていきます。

先日、ある言葉に出会いました。

「父祖の徳、汝に及びて今日の幸」

あなたの今日のしあわせは、父祖の徳が今の自分に及んでいますよという意味です。私たちの祖神は日本開闢の時から存在します。その祖神の後に代々続いたその姿が私たちです。

私たちが先祖を思い偲ぶとき、同じ長さで子どもたちのことを思います。譲っていただいた徳を大切に守りまた譲っていく生き方か、その徳を全部自分の代で使いきってしまう生き方か、そこには父祖の徳を感じる力があるかどうかにあるような気がします。

どんな時も、御蔭様であることを忘れていないからこそ感謝でき、「当たり前ではないもの=徳」が観えているからこそその徳を守り伸ばそうとするのでしょう。目には見えないものを可視化する意味とは、その徳を明らかにすることです。そんなことは誰でも知っていると当たり前に思っている人がもっとも本来の当たり前から遠くなっているのです。

何を受け継ぐのか、何を継承するのかを今の代の役割を担うものたちがその父祖の徳を自覚することで責任感は育っていきます。私はそれを「初心」ともいい、「夢」とも呼びます。

目先の損得ばかりが騒がれる昨今、真心を盡し徳の実践につとめていきたいと思います。